ゼミ合宿 in長野市(その9・松代大本営2)
前回、24日の日記での松代大本営の見学記(9月18日訪問)の続きである。 公開されている通路。かなり薄暗いので足元に注意する必要がある。公開されている通路以外は全て立ち入り禁止であり、観光用の通路もこの先で途切れている。 立ち入り禁止エリアにはコウモリが潜んでいた。かなりビビってしまった。 ガイドの方の話によると、次のようなエピソードが残っているという。 まず、洞窟を掘り進める作業の際にはダイナマイトが使用されており、発破を繰り返しながら掘削を進めるという方法であった。そして爆発で発生した土を外に排出するためにトロッコで運ぶのである。 ある日、作業員が作業しているときのこと。洞窟の中で爆発音が聞こえ、現場に向かった。この事故で仲間が巻き込まれたという。仲間を懸命に探すが、見つかったのは胴体だけであった。つまり人間にとって一番大事な頭部がない遺体だった。その頭部を捜している途中、彼は天井から何かポツリ、ポツリと落ちる水滴を感じた。生暖かかったので考えてみると、なんと血であった。そして仲間の頭が天井の岩に挟まっていたという・・・。 非常に身の毛のよだつようなエピソードである。 柵で塞がれている、立ち入り禁止エリア。中にはコウモリが潜んでいることも。 しかし、ガイドの方が紹介された中にはこんな話もある。 爆発で発生した土や砂利をトロッコで運ぶ。2人1組になって運ぶのだが、最前線近くでは監視の目が光っている。この洞窟の掘削作業には在日朝鮮人の方々(それも若者を中心に)が多く携わっていた。 しかし砂利を捨てる場所付近は監視の目が届かないのである。そこで空になったトロッコに在日朝鮮人の若者が日本人の少年を乗せてあげて、まるで故郷に残した兄弟のように遊んでいたという暖かい話も残っている。 そして終戦とともに工事が終わり、在日朝鮮人の方々の大部分は朝鮮半島に帰れることになった。それを大いに喜んだのだろうか、洞窟の壁には漢字で「大邱」(韓国の都市)と書き残したという。私自身、朝鮮人の方々の故郷への気持ちがストレートに伝わったように思えた。 松代大本営を訪れてみて、戦争というのは多くの人々を不幸にするものだということを改めて感じ取れた。この松代大本営が建設される際に、ここ松代地区の多くの世帯が立ち退きを命じられたという。また、空襲や戦闘場面に遭うのももちろん悲惨だが、この松代大本営の工事に限らず、戦争のための体制協力全てが国民を不幸に陥れることなのだと実感できた。 世界中の人々が巻き込まれる大戦は、63年前のでもう終わりにしてほしい。