2013年GW・北九州~広島旅行記(その12)
2013年5月4日、午前11時より少し前。私は原爆ドームの前に立っていました(前回の記事参照)。 教科書やテレビ等を通して何度も見ている原爆ドームですが、実物の前に立つと、やはり考えさせられる何かがあります。 実は私が広島を訪問するのはこれが2度目。初訪問は2001年5月、中学時代の修学旅行でした。この時は東京駅から500系のぞみに乗り込んで広島まで行き、この平和記念公園一帯や広島城などを見学しました。初めて平和資料館に入り、皮膚のただれた蝋人形を見てショックを受けたことを今でもはっきりと覚えています。 この原爆ドームの母体となった建物は広島県物産陳列館として建築され、1915年に開館しました。その後、広島県産業奨励館として広島県の物産をPRする建物として、チェコ人の建築士によるモダンな外観もあって、戦前から広島市の象徴となっていました。 1945年8月6日に原爆が投下された際、この建物は爆心地から西へ200メートルほどしか離れていませんでした。約3000℃と言われる高温と熱風により破壊されました。 戦後しばらくは何の手入れもされずに放置されていましたが、1966年7月に市議会で永久保存が決定されました。 現在、ドームの内部に立ち入ることはできませんが、平和記念資料館の公式サイトにて内部の360度画像を見ることができます。 その他、被爆時に周辺にあった建物が紹介されています。 平和記念資料館へと向かいます。 いつも大勢の人々が来場しますが、ゴールデンウィークとフラワーフェスティバルと重なっていたためか、行列ができていました。 なお、ここから先は写真撮影を少なめにしています。 現在は原爆ドーム、平和記念公園がある一帯(中島地区)の被爆前の様子を表したジオラマ。手前が相生橋、産業奨励館(ドーム)のある方。 被爆前の一帯は、普通の人たちが暮らす住宅街や、歴史の古いお寺が並ぶ一角でした。 (続く)