8年前の私のこころは輝いていたかい?
今年もあっという間に年の瀬になりました。私もこの時期になると「来年どうなるんだろう」と考えざるを得なくなります。早く安定した教職の仕事に就きたいがために、履歴書を出し、勉強を続け、努力しなければと思う次第です。 先日、そう考えた際、私は8年前のことを思い出しました。私はその年に教育実習や就職活動を行いました。ですが、思えば趣味、勉強、就職活動、どれも全て中途半端だったのではないかと思います。できるのならば、8年前の私にこう問いたいです。 「君の心は輝いていたかい?」 元ネタ:「君のこころは輝いてるかい?」(ラブライブ!サンシャイン!!) 結論から書くと、私は就活で迷子になった気がしたのです。その象徴的な出来事を紹介します。 2008年11月30日、日曜日の午後。私は埼玉県東松山市に本社を構える不動産会社・M社に面談(会社訪問)に伺いました。 これはリクルート社が当時提供していた、就活セカンドステージというプロジェクトの一環として、首都圏の中小企業を中心に求人情報の提供や就活支援を受け、2009年3月までに内定をもらう!という学生向けのものでした。大学の秋学期が始まっても一向に内定をもらえず、闇雲に就活を続けていた私は藁をすがるような気持ちでこのサービスを利用しました。 M社での面談はアットホームなものでした。対応された担当者の方とざっくばらんにお話をさせていただく機会がありました。その際、私は「3年生(前年)の秋から合同採用説明会や業界セミナーに参加したものの、内定はゼロのまま・・・」という趣旨の発言をしました。 しかし、担当者から無慈悲なことを言われたのです。 担当者「『就職したい!』という必死さが感じられない。悠長に構えているように見える。そんな心構えで、面接で10連敗?20連敗?当然だと思う」 多くの同級生が企業から内定をもらう中、就活を「お涙頂戴の活動」と考えるようになっていた私を絶望のどん底に突き落とすような一言でした。 翌日・・・。M社からメールをもらいました。 「面談不合格」 会社訪問の時点で不合格になりました。 他にも、中小企業を中心に面談に参加させていただき、中には面接(選考)まで行った会社もありました。 しかし中には「・・・何のために参加してんだろ、俺」と感じるような面談もありました。その場合は正に面談のための面談という感じがしてなりませんでした。 私は学部4年生の年末という時期になって初めて、「なぜ就職するのか?」という根本的な問いにぶつかってしまった気がしました。ですがその問いの答えとして「ちゃんとした収入が欲しいから」だと、極端な話、アルバイトや契約社員でも生活できるのです。 就活していたのに、「就職とは何か?」への答えを用意していなかったのです。 私が就活を3年生の秋に始めたきっかけは、マイナビや学情ナビ、リクナビ、エン・ジャパンといった大手求人情報サイトが新卒採用特集ページを立ち上げたから。あるいは、他の同級生が就活し始めて「そろそろ自分も動かなければ」と漠然とした危機感を感じたからでした。まとめると、「周囲に遅れをとりたくない」という薄っぺらな動機しかありませんでした。これでは正に、就職活動するから「やりたいこと」を考えている状態になってもおかしくありませんでしたし、現に私はそうなってしまいました。 当時の私を見つめてみると、ただ、ノルマを消化するように就活していたように見えました。自分の将来について何ら具体的な夢を描けてない。勉強や趣味など何もかも本気で取り組むことなく中途半端に終わる。 就活の最中、母からは「君、就職する気ないだろ?」だとか「ガッツが感じられない」と言われたことがあります。現に私は、留学や司法試験挑戦などの話が両親からある度に生返事をして、全部うやむやにしてきたのです。 就活を登山に例えると、「2~3合目を進む」=「自己分析や業界研究を進める」、「7~8合目」=「面接を受ける」、「頂上到達」=「内定をもらう」という風に表現できるかと思います。しかし私の場合には、自己分析をあまりにも軽視し過ぎたために、「猛吹雪に遭い、登頂断念」と言えます。 正に、当時の私の心はくすんでいました。輝くどころではありませんでした。 8年前の私は、現在のように、教員試験目指して勉強というわけでもなく、バイトでもいいから仕事に熱心に取り組むというわけでもありませんでした。 やっていたのは、自分のキャリアアップとは関係なさそうな、政治関連のニュースを集めて政治評論家のようなブロガーをやっていること。国勢調査など都道府県のデータを収集すること。東武線の駅名標の写真を集めまくること。パ・リーグの野球観戦をすること。以上のようなことでした。 今思うと、8年前の私は自分と向き合うことから逃げていたんだと思います。 「いや、ゼミ仲間がみんな民間企業へ就職しようとしてるから。」そんな内向き、受け身な理由で司法試験や公務員試験などには全く興味を示そうともしませんでした。みんなと同じレールから一人だけ外れるのが、怖かったのです。 さらに、当時の私は「軽いアスペルガーでは?」と指摘されると、「嫌だ!知りたくない!」「俺はそんな障がい者みたいな存在じゃない!」と反発心を抱いたことがありました。アスペルガー症候群の良い・悪い両方面の特性を全く理解しようとしませんでした。自分の特性や、両親の出自が自分に与えた影響などを考えると、自分の無意識が邪魔したのです。 無意識を取っ払って考えてみたらどうなったか。8年前の私の本音は多分こうです。 「不動産業界?小売業界?外食産業?電設会社?ソフトウェア開発?金融機関?・・・どれも全く興味なかった。 俺は、教員免許など実体のあるモノじゃなきゃ分からない。これまで勉強した成果としての免許だったら、とても分かりやすい。今の俺には、これを使う職業しか思いつかないんだよぉ! ・・・学校の先生?・・・最初は『何それ、厳しそう』と思った。・・・でも『教育実習での研究授業、すごく良かった』と言われた。・・・ひょっとして、これが俺の天職だというのならば、やってやる!」 こうして私が教員への道を志し始めたのは大学卒業1か月前のことでした。となると、私は全く興味のないことのために時間とお金を費やしていたことに気づいたのです。会社説明会のために関東を飛び出して、博多まで出かけたこともありました。 そこで、今就職活動している後輩へのアドバイスとしては・・・。 自分の将来について、民間企業への就職を前提に考えることは止めた方がいいです。例えば「将来は料理人になりたい!」という人が、例えばトヨタ自動車に入社しても、それは不幸なことなのです。 私の1回目の就職活動は2009年2月に終わりました。最後に受けた会社の面接を終えた後、なぜか心がスッキリしました。ふっきれました。 「・・・これで、やっと苦しいことから解放される・・・」 心はすでに大学院入試、そしてその先の教員免許取得に向かっていました。 同級生に比べてものすごく遠回りな道になりましたが、今の夢を目指していて、後悔はしていません。少なくとも8年前よりは、私の心は少しだけ輝いています。