カテゴリ:時事ネタ
憎しみと怒りでは何も解決しない。
チベット問題に関して中国側への気持ちを問われてダライラマがそう答えたそうである。真意がどこにあるのかはわからない。言葉通りかも知れないし、チベット人へ血の弾圧を行う中国側の姿勢を揶揄して言ってるのかも知れないし、もっとも心にもないことを言ってないとも限らないが、そこはやはり尊き仏教者の言葉であるから字面通りに受け止めるとしよう。 ダライラマばかりではなく、怒りや憎しみを戒める格言は世に多い。 怒りは一時の狂気〔西洋のことわざ〕 怒りは愚に始まって悔いに終わる〔ドイツのことわざ〕 短期は損気〔日本のことわざ〕 笑顔に刃は向けられぬ〔日本のことわざ〕 怒りを敵と思え〔徳川家康・遺訓〕 まったくもってその通りだろう。私としてもなんら異論はない。しかし歴史に学ぶ通り、怒りは時に変革をもたらす大きな力となる。ましてや弱者が強者に向ける怒りは信義と尊厳と家族を守るための闘いの原動力だ。チベット人は半世紀以上に渡って中国人から搾取され、弾圧され、差別され、見下され、馬鹿にされ、拷問され続けたからこそ怒りを向けたのである。 怒りを自制せよと言うのは実に簡単だ。言うは易しである。チベット人は怒りと憎しみを胸の奥深くにしまい込み、チベットの置かれた状況の理解と支援を求めるために諸外国の議会なんかでロビー活動を行ったり、著名メディアでシリーズものの記事を書いてもらったりして言論に訴えつつ緩やかで時機を窺った賢い変革を取り行えば今回の弾圧事件のように何百人もの犠牲者を一度に出さずに済んだのかも知れない。って言うか、それは確かだと思う。 しかしである。賢く緩やかな変革は時間が掛るだけ、長期間に渡って弾圧と搾取と蔑視と拷問に堪えつづけねばならないのである。ダライラマはそう訴えるのであろうが、弾圧や搾取の当事者にしたら信義と尊厳と家族を守るために怒りを手にするしかなかったのだと思う。 怒りを胸に頭はクールに行きたいものであるが、私も甚だ自信がない。何十年にも渡って中国人から日本人批判を聞かされ続けていい加減嫌になってきているし、でも中国人らは正統な中国王朝であるところのモンゴル帝国の蛮行殺戮を詫びるわけでもなく逆にチンギスハンを世紀の大英雄として取り扱うあまりの蒙昧ぶりに私なんぞは怒りを通り越して呆れ果てているのであるが、通り過ぎた怒りの炎を今一度手中にし、冷静に執拗に中国批判をして行きたいと思うのである。 怒りこそが変革の原動力だ。ダライラマは偉大な仏教者。私は市井のブロガーに過ぎぬのであれば、弾圧と搾取を撥ねつけるための怒りのパワーを否定するには及ばない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.02 15:04:12
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