10数年前に、西日本新聞記事に次の様な内容の記事がありました:
『戦争を終わらせた誤訳
誤訳にも色々あるが、ただごとでは済まされない誤訳も歴史上にはある。
昭和20年7月末、連合国軍は日本の無条件降伏を促す「ポツダム宣言」を
発表した。それに対し時の宰相・鈴木貫太郎は「帝国政府はポツダム宣言を
黙殺する」と応えた。
仮にも「承諾する」などと言おうものなら、<売国奴>として
抹殺されかねない。その苦衷の果ての表現だった。
<黙殺する>という言葉を「当面は据え置く」の意味合いで言ったのだが、
これが「拒否する」の意だと【誤訳】され、その為に広島、長崎へ原爆が
投下されソ連が満州に軍を進める結果となった、というのが
一応の定説とされている。
この「黙殺」という言葉、53年たった今から見ると、その表現の微妙さは
日本人にもわかりにくい。誤訳されてもやむをえなかったような気もする。
それより明白な誤訳は、その後の流れの中でおこなわれた。
昭和天皇の「御聖断」によりポツダム宣言を条件付で承諾する事が決まり、
その条件についてトルーマン米大統領から返事がくる。
肝心の箇所を抜き書きしてみると、
【the authority of the Emperor and the Japanese Government shall be subject to
the Supreme Commander for the Allied Powers…】と ある。
これを外務省では
「天皇及び日本国政府の権限は、連合国最高司令官の制限の下に
置かるるものとする」と翻訳した。
条件の最大の眼目は国体の維持と天皇の身分保全である。
徹底交戦を主張する軍部は【subject to】は「隷属する」との意味であり、
外務省訳は【誤訳】であると騒ぎ立てた。
外務省側はこれをつっぱね、断じて誤訳ではないと押し通す。
そして8月15日の天皇による終戦の詔勅へいたるわけだが、
この場合は外務省の【意図的な誤訳】が泥沼の戦火を
終わらせる事になったのだった。
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ご参照ください。ご質問は何なりとどうぞ。
【Ken's Office】
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最終更新日
2009年08月15日 13時15分10秒
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