私は、東京、大阪、名古屋での商社でのお仕事を終え、1996年の初夏に、
名古屋市笠寺(宮本武蔵の供養墓があります)から
飯塚市に戻ってきました。
目的は、福岡県警の警察官の試験を受ける為でした。
警察部内でも、司法通訳の職位もありますし、私は元々正義感は強いので、
警察官に転身するのは、苦では有りませんでした。
さて、一次試験を通過し、体力測定も余裕でパスしました。
私は、規定の年齢制限の上限の歳でしたので、
とにかく自分らしく頑張り、警察官へのやる気も強く示す必要があると
思っておりました。
最終的に面接試験まで進みました。
面接の際に、「最近は、警察官の不祥事も多く、
(実際、この面接の少し前にも、問題になりました)
今回受験する中から1人位は不祥事を起こす輩もいるでしょうから、
そんな奴を採る位であれば、年齢制限上限の私のほうが
やる気もより高いので、私を使って欲しい」と申し出ました。
結局、この発言が問題であった様で、私は、不採用でした。
尚、この不採用の連絡については、
最初、直方市のバイト先から合格者発表の指定時間に電話で問合せをすると
「末次さん、おめでとう御座居ます。合格です」と言われ、
喜び勇んで、実家にも連絡し、ルンルン気分で、
サイクリングロードを自転車で、飯塚市まで、返って来ました。
これでようやく都会から飯塚までもどって来た甲斐があったなあと
感慨にひたりながら、自転車を漕いで帰りつきました。
その後、自宅に着きますと、母親が、
「賢治、さっき、警察から電話があって、さっき、合格ち
答えたばってんが、間違いちて。あんたは不合格ち。」と連絡がありました。
これはちょっとさすがにビックリして、落胆しましたね。
その後色々と某ルートで不採用原因を調べますと、上記の面接時での
私の発言に問題があったようです。
その後、しょうがないので、私は自分の商売を起こし、
現在に至ります。
さて、過日、警察官の上層部の立場の方が飯塚市で
飲酒運転でひき逃げを起しましたが、
この種の事件を見聞きするたびに、
「だから俺を採ればよかったのに」と思う事があります。
私は、いま思いますと、性分上、公務員には向いておりません。
創意工夫と旨とする現在の商売が一番合っています。
【<兵法・英語二刀一流>末次通訳事務所 末次賢治】
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最終更新日
2009年08月28日 17時49分22秒
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