先ほど、我が「末次家のお墓」に参ってきました。
旧飯塚市文化センターの裏手の墓苑の奥にあります。
ご参照までに、
私の父ちゃんは、入江市郎君
私の母ちゃんは、秋元治代さん
そして、私は【末次賢治】です。
以前も書きましたが、入江君を父とし、秋元さんを母とし、
少なくとも2名の末次という人間がご縁がありまして、
この世に生を受けました。私(長男)の方は、もうすぐ誕生日です。
さて、私は、父母の元来の実名による姓でなくて、
ご縁がありまして、末次の名前を姓に貰って生まれました。
私の名前は、「賢治」です。諸事を賢く収めながら、進みなさいという
意味合いで付けられた様です。
果たして、私が賢いかどうか、それはわかりませんですが
私は、全く、賢くありませんですね
My name doesn't speak for myself. ですね
20代~30代初めまでは、若い頃は、
クラブ(ジュリアナ東京や大阪のクー)でお姉さんがたを次々に
ナンパしたり、お姉さん方に卑猥な事をかなりしたし、無茶苦茶遊んだり
しましたので、これを思うと慙愧の念に堪えません。
これはこれで実に良い経験として、色々と勉強にとなっておりましたのです:
ですが、これからもっともっと頑張っていきたいのですね。
末次の姓を、根性と英語、将棋、サンボで以って再興することこそ
私の初代としての役割であります。近年は、お墓に参るたんびに
そう思わざるを得ません。
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私は、子どもの頃は、父親市郎の影響と指導で野球漬けの日々でした。
(市郎父ちゃんは、プロから声が掛かるほどの名選手でした。
イチローの活躍を自分に置き換えているかもしれません。
父の市郎さんも、俊足で、打率も良かったのです(生涯打率は
3割です。0.333 アマチュア野球ではありますが良い成績ですね)
但し、野球により父のしごきが年々激しくなるのに、
抵抗をしたくなり、高校入学時から柔道をしております。
しかし、他の同期の仲間の多くが子供の頃から柔道をしている例が
多く、下手で弱いながら、自分なりに稽古を重ねました。
大学より英語に志を立てて、
大学の講義や授業よりも、金閣寺での自己練習にて英語の練習を行いました。
野球や柔道をしているときも、自己工夫や自己練習で
皆に追いつき追い越せで頑張ったし、私は自分なりの手法で
努力する事を旨としています。
自分なりの創意工夫で以って、これからも頑張っていきたいです。
末次家再興の為にも。これが私の使命の1つと思っております。
どこまでいけるかわかりませんが、頑張ろう思うまでです。
【Ken's Office】
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最終更新日
2009年09月23日 15時58分50秒