山口仙二先生について
昨日の天声人語からです。この内容は、きちっと把握すべき内容ですね:
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1982年に長崎を訪れたマザー・テレサは一枚の写真パネルに見入ったという。
原爆に遭って全身に火傷(やけど)を負った被写体は、案内役として隣にいる山口仙二さんだった。
「尊い今の仕事が続けられるよう、神があなたを生かしてくれた」と彼女は語りかけたそうだ
▼2カ月後、山口さんは被爆者として初めて国連本部で演説をする。自らのケロイドの写真をかざし、叫ぶように締めくくった。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」。
世界がその声を聞いた
▼6日に82歳で亡くなった山口さんは、14歳のときに被爆した。
傷だらけの体を引きずって立ち上がり、生涯を被爆者援護や核廃絶のために捧げた人だった
▼運動に身を投じる前、絶望に沈んで自殺を図ったことがある。20歳の夏、カミソリで手首を切って大の字になった。
気がつくと、シャツの袖で血が固まっていたという。「また生かされた」との思いが新たな出発点になった
▼かつて出版した自分史を『115500平方メートルの皮膚』とした。
奇妙な題名は、長崎原爆で死傷した人の数から、熱線に灼(や)かれた皮膚の総面積を概算したものだ。
「肉体だけでなく、それぞれの生き方にまで及ぼした歪(ゆが)みの深さは、いったいどうやって測るべきか」と厳しく問いかけた
▼人類が手にした凶暴な兵器は人類の手で葬るしかなく、魔法の杖はどこにもない。
間もなく戦後68年の夏が巡る。遺(のこ)された志の松明(たいまつ)を、次の時代が燃やし続けたい。
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=末次商店=
<兵法・英語二刀一流>末次通訳事務所 末次賢治拝
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最終更新日
2013年07月09日 20時57分16秒