◆末次商店に付いて:
私には弟がいます、今45歳。私とは、4.5年違います。
弟は、働き者です。ですが、なんちいうか?-創意工夫がなく、
指示されたことはよく行いますが、私と違って
自分から、物事を発展させるように考えて、取り組むことはなかなかできません。
また、対人関係で、他者とうまく会話を展開できません。
(私もへたくそですけど、私よりも劣ります)
※また、本人は、よく口をポカンと開けています。
そうししないで、口をつむるように、しょっちゅう言っていますのですが、本人は、癖が付きません。
三年前、弟に、我が末次商店を切り盛りしてもらおうと
一生懸命、私と弟で取り組んでおりましたが、
結局は、その計画は潰れました・
末次商店のそばに、セブンイレブンが出来て、
世間の考えでは、当然太刀打ちできないであろう、という事ですが、十分に太刀打ちできますし、生き残れます
弟の、末次達也君は、炭鉱産業の知識が
凄く深いです、大学の研究者にも匹敵する知識はあります。ですから、末次商店の一部を、石炭・炭鉱産業の資料所として、資料室にして、これを公に開示する、という事で、末次商店の新規の展開を考えて進めておりました。
お店の一角を、資料所として整理をし、新聞社にも記事にして貰って、学習拠点として、公開しました。
次のURLをクリックしてくださいませ
http://fukuoka.shoplog.jp/niten/27296.html
ですが私と弟の間で、意思疎通が不十分で、
弟は、あまりに、私の問いかけなどに、返事を全くしない、連絡をしないということがよくありますので、
弟を平手打ちで、何度も叩いてしまい、耳を負傷させて、
鼓膜を破ってしまいました。
実際に、母親が入院する2週間くらいまで、俺と達也は、
約2年くらい、会っていませんでした。「連絡を私によこす」ように、弟に、母を介して、いつも言って居りましたが、まったく連絡がその後ないままでした。
※母の入院や上記の単行資料所の件で、用事があるから、連絡をして欲しいと、いっておりましたが、その後、約2年は無視されておりました。==これはこれで、私は、弟は、(仮に、俺の事が怖くて、嫌いでも)失礼であると面思います。
弟の達也は、45歳です、
しかし、とても45歳には思えません、
精神性や社交配慮的に。
小学生といった子供ではないのですから、
大人として、対応して欲しいと、この間も本人に言いました。
末次商店には、「筑豊炭鉱産業資料所」という一角があります、いま、そのセクションは、きちっと機能しておりません、というのは、弟が、きちっと運営をしていないからです、
本人は、運営をしたいという気持ちがあっても、考え方が子供ですから、自分できちっと運営を実施できません。
私は、困っています。こうした弟で。
もし、この「炭鉱産業資料所」の運営がうまくいってまいたら、その後、すぐに、NHKの朝ドラで、「花子とアン」や「朝が来た」で、筑豊の炭鉱や伊藤伝右衛門さんに日本中から注目が浴び、飯塚市が観光面で恩恵を被りましたが、その流れにうまく乗じる事が出来て、末次商店の経営にもプラスしたのですが、すっかり、この機運を逃してしまいました。残念無念です。
亡き父と私、との関係と、私と弟との関係はよく似ています。 私は、父に対して、嫌悪感が強烈なものがありまして、私は、なにくそ!父を見返す、というこの一点で、諸事を頑張ってきました。 弟は、それができません。
弟と私が一緒にいると、良くないことが起きますので、
はなれておくしかありませんが、探鉱作業資料所と末次商店は、しっかり展開して欲しいのでございます
末次通訳事務所・末次賢治拝