・ 私の母は、「秋元家」から「末次家」に養女になりました。
・私の父は、 「入江家」から「末次家」に養子になりました。
・つまり、私は、「秋元」さんと「入江」さんとの間に出来た子供です。
私の母の実母は、病気で亡くなり、 祖父(母の実父)は再婚をしました。
勿論、私が生まれる前のことですが。
つまり、私には、母方に二人の祖母、
末次のばあちゃん。入江(父方)のばあちゃんと
4人のばあちゃんがいます。
母、父いずれも長男や長女でありませんので、
養女、養子となり、子に恵まれなかった、
当時の末次家を引き継いだ事になります。
ですので、私が墓参りをする場合は、
末次の墓にお参りをしております。
※今では、「墓じまい」をし
鯰田のお寺の納骨堂にお世話に成っております
私の祖母は、秋元のおばあちゃんの逝去で、
皆、鬼籍に入られました。
祖父も3人とも鬼籍に入りました。
この数年は、お葬式や法事に出ることが
多くなりましたが、私はいつも思います。
私自身は、「新・第一代目の末次」であると。
他の人がどう思おうが、私は少なくとも
自分の事をそう思っております。
実際、秋元さんと入江さんとの間に生まれた、
末次という子供なので、自分は、新・第一代目の末次であります。
私は、第一代目として、立派な人生を歩みたいと
思っております。英語を、わが生きる糧として、
これからも歩み、末次家の新たなる歴史を
作り上げたいと思っております。
元来、末次家というのは、商売をしております。
商売の展開が素晴らしいモノであったと言う事です。
聞いた話では、最初は、豆類の商いとはじめ、
そして、中国に渡り、豆類を商いし、現地で、更には、
喫茶店、銭湯などもしていたとの事です。
そして、戦後、「末次商店」は、食堂でした。
ちゃんぽんが20-30円との事でした。
そして、段々と、タバコなどを扱う様になり、
今は、ミニ・コンビニみたいな個人店です。
※ところが昨年に、母親が勝手に末次商店を閉めてしまいました。
私は、末次商店を、石炭産業の学習拠点として、
新規な展開を図ろうと取り組んでおりましたのですが。
私は英語を以って、新しい末次の家史を
作り上げたいと思っております。
今年から、私は「兵法・英語二刀一流」を標榜しております。
日本語と英語の二刀流、通訳と翻訳の二刀流、
業務と格闘技の二刀流など、色々と二刀流で
諸事を勧めていきたいと思っておりますし、
そう実践しておりますが、本年以降、
更に、この流儀を実践展開します。