1997年福岡県警試験とその時の思い出
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皆さん、この新聞記事をご覧下さい
数日前の西日本新聞の記事です
この巡査部長職は、「1997年に採用され・・・」と
あります。
年齢からみても、この人は、きっと、
私と同じ試験を受けて、そして県警に
採用された御仁であろうと思います
ご興味ある方はご覧下さいませ
・私は1996年の夏に都会(東京名古屋大阪)から飯塚に
戻ってきました。
色々な理由がありまして、帰省をせざるを得ませんでした。
1つは、商社の仕事で、大きな失敗をしてしまい
それがきっかけです。
都会に進出した私が飯塚に戻るというのは
敗北であります。
私は実は、首つりをしようとしました事があります
実際に、ロープに首を掛けました、
が、
「いや、ここでもし俺が死んだら
おねえちゃんたちと楽しいセックス出来なくなる」と
咄嗟に思いまして、なんとか思いとどまりました。
これは本当です。元AV男優の意地ですね
<お陰で、今は、楽しんでいます(笑)
・この状況を覆す為にも
何か好手となる「一手」を指そうと思い、
同時に、丁度東京で一連のオウム事件や凶悪事件に
遭遇していた為、更に、父ちゃんからの勧めもあり
警官になる事を志望しました。年齢資格ぎりぎりの
31歳でしたので、一大勝負と思って取り組みました。
福岡県警です。
1997年の初夏の試験を受けました:
筆記試験や体力テストを余裕で合格しまして
面接に進みました。
その時に、私が面接官らに云ったのは
「最近は警察官の不祥事も多いけども
ひょっとしたら、今回の受験者の中にも
いずれそうした不祥事を起こす人も
出てくるかもしれません。
ですが、私は年齢制限一杯での応募ですし
正義感が誰よりも強いので不祥事を行う事もなく
必ずや治安の安定に貢献致します」とこのように
志望の気持ちが強い事をアピールしました。
で、合否の発表の期日と時間が参りました。
午後5時から電話で合否の確認ができますので
直方市での工場アルバイト後、すぐに工場から県警に電話をし
合否の確認をしました・
小生:「受験番号○○○の末次です・・・」
県警:「おめでとうございます。末次さん、合格です
詳細は、通知を送付致します」
嬉しかった・・・この時に賭けていましたらかね。
で、喜び勇んで、直方から飯塚まで自転車で
帰っている時は、とっても嬉しい気分でした。
警官になったら、犯罪の内容な社会づくりに邁進しよう。
当然、柔道もしますので、警察署の道場で
少年少女らへも指導したい等々
で、自宅に帰りますと、母ちゃんが
母:「賢治、さっきね、県警から電話があってくさ、」
私:「うん、合格したんばい。良かった良かった!」
母:「それがね、さっき合格って県警から云ったけども
それは間違いやったとちて・・」
私:「またぁ、嘘やろもん!」
母:「いや、恐縮しよんしゃった。「くれぐれも
お詫びいたします」ち。」
大変にびっくりしました。
と同時に、俺は「我、過てり!」と痛感しました。
この事も相まって、
私は行政の人達、つまり、公務員には良い感情がありません
勿論しっかりした公務員の方もいますが、
全体的には、あまり良い印象がありませんですね
それはともかく
これは天の差配であろうと。
父ちゃんは国土交通省(建設省)の職員ばってんが、
俺自体は元々「公務員」には向いていない。
行政組織には向いていない、
俺は商社出身だ!民間で生きていくべきである。
こうなったら、英語で生きていくしかない、と思いました。
もし英語の職業で失敗したら、自決するしかない、
という覚悟で、起業を試みました。
もう22年前の事です。
それ以来、私は英語通訳翻訳業の看板を掲げております