「野球部」から「柔道部」へ
俺が「飯塚第三中学校」の卒業間際に
「福岡県立嘉穂東高校」に合格した際、直ちに
次のような会話が父子間でありました。
父「ケンジ、お前、東に入ったら野球部に入れよ!お!」
※父は東の野球部OBで、野球部が最も強豪だったときの
レギュラーです。うちの父は野球がプロレベルの
選手でした。
俺 (そーれ、思っていたことが始まった、と
嫌気を感じつつ)
「いやいや、お父さん、高校に入ったら
柔道をするばい。野球部とか入らんばい。」
(東の野球部に入ったら、当然、OBの父ちゃんからの
野球しごきがより激しさを増すから、それが俺には
とっても嫌でした。)
父「なしか、きさん!野球部に入れ!」
俺「いや 入らん!」で 喧嘩ではありませんが、
父が怖くて、逆らえない俺が、珍しく
いや初めて、反対しました。とっても怖かったのです
父「お前、初めて、俺に逆らったな!」
で、1週間かそこらで、中学を卒業して
高校入学準備の際に、
父「ケンジ、これを買ってきたき、みちょけ」と
云って手渡されたのが、柔道の入門書でした。
勢いで柔道部に入るといったものの
全く経験がないし、柔道の試合をその前年のロス五輪で
山下選手とラシュワン選手の試合を見ただけでしたので
何かよくわかっていない状態でした。
・で、その入門書の著者が、俺のFacebookで、シェアした動画の曽根先生です
・で、今は、私は、広島大学の広報モニターを務めておりますが、
ラシュワン選手が膝の手術に訪れたのが、
広島大学で、この事を、昨日、モニターとして見解を意見をしました。
素晴らしい同大学の実績として。
・で、その入門書は、最初はもちろん、受け身の練習から
です。しかし受け身の写真と説明文を見ただけでは、
どのように畳を叩くかなどが俺にはよく分からず、
東の柔道場に入門して初めて分かりました。
・で、その受け身の指導などから、現在、中学校の
1年生2年生200人近い人数の生徒に指導しています。
・で、その中学は、私の中学(三中)の時の担任の先生が
校長職を務められてそこで退職為された学校です
その担任の先生は、柔道の先生でしたが、
三中には柔道部がなく、俺は野球部でしたので
その担任の先生からは、柔道を習った事はありませんが
今お手紙などで、柔道を指導中という事は
よくお知らせしています。
・で、今柔道を指導している中学は、高校の時の
柔道部の師範の母校という事です
俺は、高校1年生から柔道を始めたので、
15歳の4月からですね、もう38年くらい、
柔道途中からサンボに関わっています。
弱い選手やけどもですね
(有)末次通訳事務所・格技事業部・末次賢治拝
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最終更新日
2020年02月01日 09時33分35秒
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