再掲します。
宮本武蔵先生が著作の書付(かきつけ)書に、
【五方之太刀の道・序】 これは、すべて漢文で書かれ、
後年の著作『五輪書』の礎となるものです
その書き下しを下記に上げます。
人間のあるべき姿、稽古とは?重要な哲学がしっかりと書かれていますね
兵法二天一流の祖・宮本武蔵師は、それ以前、及び、
江戸前半の他の兵術家、剣術者などと異なり、
論理的、且つ、極めて客観的に、
自らの流儀、剣術技法、心法、道にいたる修練のあり方を
書面に残しております。俗称の「五輪書」以外にも、
二十歳代に認めた「兵道鏡」「二刀一流極意条々」、
「兵法三十九箇条」などなど沢山の書物を残して、
正しい兵法のあり方を門弟、及び、後世にも残しております。
宮本武蔵については色々な評論家が、様々に
論じておりますが、書物を深く読み、道を実践するに従い、
先生は日本が誇る哲学者であり、
合理的な思想家であり、その考えは
剣道、兵学だけでなく、全ての芸道、稽古事、職業に
通じる、「万理」の考え方を持たれた偉人であります。
以下は、宮本武蔵先生が漢文で書かれた、「五方の太刀の道・
序」という、兵法書です:
「五方之太刀道序」
兵法の道たる、たまたま敵と相撃つ利を己に得。
すなわち、三軍の場にもまた移すべし。なんぞ町畦あらんや。
しこうして、決戦に面ずるにあらずして、勝ちを慮前に定むる。
待つところあらんや。その道を迪むべし。しこうして、
離るべからず。その法に準ずべし。しこうして、
謬まるべからざるなり。秘して蔵さず。
弁じてしばしば明らかなり。堅を攻め、節を後にす。
洪鐘、撞くことあるは、ただ堂奥に入りてのみ獲。
本朝、中古、芸に渉りて、この法を唱うる者、数十家あり。
その道たるや、強きを侍みて粗暴をほしいままにし、
柔を守りて細利をたしなむ。あるいは長きに偏し、
短きを好むなり。刀法を構ゆるに数種出るにいたり、
表となし奥となす。ああ、道に二無きを。
なんぞしびょうなるかな。邪をひさぎ名を貪るのともがら、
法を舞い、術を衒い、世人を眩曜す。その狭小に勝ち、
すなわち、いわゆる、有術、無術に勝ち、片善、無善に勝つ。
道と云うに足らんや。一取する所なし。
吾がともがら、潜精鋭思ここに陳ぶ。
しこうして、初めて融会す。
それ武士は、行座、常に二刀をおび、その用の便利を願う。
ゆえに道根二刀、二曜麗天。法を五用に樹て、
五緯に供極す。歳運の斡転して、突起に衝拒する所以なり。
構えてなすに、五法あるを要す。時に、措くの義あり。
必ず操刀は、表奥のために有るにあらず。
もしそれ、一旦こと有りて、すなわち、長短並び抜く。
短にしてかならず長あらざれば、短にして敵に往く。
しこうして、短必ずなくば、すなわち、徒手にてこれを縛つ。
勝利往くとして、われに在らざること無きなり。
しかるに、尋ぬるに足らずして、寸に余りあらんや。
強きは弛むべくして、弱きは設くることあり。
みな、偏好せずして、時にその中を執らんと欲す。
しこうして、中は天下の王道なり。わが道この規なり。
ある人、間有りていわく、いずくんぞ知と否と有らんやと。
趙括、泰に蹶し留候、漢を佐く。有知無知あい較ぶれば、
すなわち、なんぞ魚目の随珠に唐突あらんや。そもそも、
古将の言えることあり。剣は一人の敵、しこうして、
万を撃つことを学ばんと。また隘局なり。
己に達してこれを見れば、万陣の勝敗、
完城の陥潰、頚然相形、なお、その掌に示すがごとし。
ああ誰か、その小、また大となさんや。
およそ、習う者は、諄々然としてよく誘いて、
あまねく達することあり。易くして誥すにあらず。
その、これを求むるに、回を釈き正に趣、日錬月鍛、
己に勤み、功を積み、則神して符会す。
目撃して存すべし。周旋して道にのっとり、
闇に服して愆らず。ほか、臍をかむこと、あるなきを期す。
しこうして後、よく得。
もし手技、卓絶して、百巧の変に騁する者ありて、
その技、これ谷まれりとも、人に伝ゆるは、
すなわち、なお藩に拾うがごときなり。独りわが道を心得て、
手を応し、しこうして、必ず百世の師たることあり。
これを亜ぐ後、道を言うことありても、
必ずわが道に従うなり。道は同一、軌、何ぞ多からんや。
たとえ、それ舊きを厭いて新しきを吐くも、
夷路を舎て、曲径を踰ゆるなり。
天鑑、誇るにあらずして大。
この道、言うべきこと、かくの如し。
ただ誠心と直道あるのみ。よって、舊これを序となす。」