◎史実の「宮本武蔵」師の年表です April 13 末次通
訳事務所偉人顕彰部
史実の宮本武蔵師の年表です
わたくしが丹念に、信頼できる古文書
そして参考資料類を紐解き、調べました。
・宮本武蔵と聞けば、誰しもが、
幼い頃は武蔵→タケゾウであり
西軍の雑兵として、関ケ原に参戦し、
その後、伊吹山中で、野武士を倒し、
宝蔵院との闘い、吉岡一門との闘い、
柳生との関係、宍戸梅軒との闘い、
巌流島での闘い、を 思い浮かべ
更に、大名への仕官もならず、等等の
イメージがあるでしょう。
全ては、吉川英治先生作の
小説▪『宮本武蔵』の創作です。
あまりにこの小説が内容が素晴らしい為、
小説が史実と思われていますが、
小説はあくまでも創作です。つまりは、ほぼ全部造り話です。
多少の事実があるにせよ、
その事実を話を膨らませておりますので創作になっております、
原作者の吉川英治先生も、その随筆で、
小説『宮本武蔵』は、あくまでも
創作である、と明言されていますね。
小説『宮本武蔵』の根源は、
宮本武蔵に関して江戸時代に書かれた
『二天記』がべ-スに成っていますが、
この『二天記』事態が、中国での偉人伝の書き方を
踏まえています。つまり、
中国の偉人伝は、虚実織り交ぜて、
その人の偉業を称えるのです。
かなり、話を膨らませ、内容を盛って
偉人を称えるのが中国の偉人伝の形式です。
『二天記』も此に倣って、
宮本武蔵師に関して書かれたモノです。
つまりは、『二天記』は、史実の内容ではありません。
此までの歴史研究家や専門家らは、
二天記を信じ、また、しっかりと
調べないで、宮本武蔵を評論しており、
国民の多くもその評価評論を
信じています。
多くの印象は、宮本武蔵は孤高で、
身寄り頼りもなく、冷血算にである、というものですが、間違いですね。
宮本武蔵師は、いつも、身内の面倒を
みており、一族の発展を目指し、
親族である、理応院の言い付けを厳守し、その多くの系脈は、
医療に就かせ、現在も小倉に所在の病院の先生(医師)を
なさっていますね
自身の養子は親族から採用し、其々を各々大名家に就かせ、
一族郎党の発展を念頭に置いて動いています。
理応院とは、実兄の奥さまにあたり、宇喜多秀家の家臣・
小原信忠の娘さんです。
理応院は、自分の兄ちゃんと父ちゃんほか親族を
戦で亡くしており、したがって、子供らを武士よりも
医師にしました。医療に就くのは宮本家・田原家の家訓です
宮本武蔵師は、吉川英治先生による、
実に素晴らしい小説のお蔭でかなり誤解をされていますが、
その事は、かえすがえすも残念です。しかし、
小説を超える偉人であります。
歴史研究家らがきちんと、
第一級の資料類を丹念に調べ挙げずに、いろいろと、
ご自身の人生観で、宮本武蔵を評論するから、
世間では、正しくないイメージが広まっていて、
残念至極です。
添付の年表は、かなり正確な
宮本武蔵の歩みであります。
皆さま、どうぞ御覧下さいませ。
末次通訳事務所▪偉人顕彰部 末次賢治拝
2022年04月10日