火垂の墓 -TOMBSTONE FOR FIREFLIES-
今日は台風の風というか・・・強い風は吹いていましたが・・・暑かった・・・事務所に帰る途中・・・道路脇で、すいかを山積みにして売っているテントの店があったので・・・思わず立ち寄ってしまった。試食を勧められ・・・冷たく好く冷えた、すいかをガブリと、旨い・・・甘い・・・ひやこーい・・・大きな、すいかが一玉2500円高いのか安いのかは判らないが・・・三玉買って事務所へお土産に・・・下のうどん屋の大きな冷蔵庫を借りて冷やしている。明日になれば食べ頃に冷えているだろう・・・昨晩は阪神戦がなかったので、長男の嫁と孫娘と一緒に「火垂の墓」のDVDを観ました。このDVDはワーナーホームビデオ社製のもので1500円と安かったのです・・・が長男の嫁(イタリア人)は、まだ日本語がちょっと不便なので英語の字幕スーパーを付けて観たのですがこれが・・・何と、お粗末。お粗末加減は後にして・・・「火垂の墓」の案内から・・・「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ・・・」この清太のセリフからドラマは始まる。清太(せいた)14歳節子(せつこ) 4歳焼け野原に、はかなく光る命ふたつ・・・太平洋戦争末期。 主人公、清太の持ち物は・・・七輪ひとつに布団と蚊帳、それに妹節子とホタル神戸に暮す清太と節子の兄弟は、空襲で親も家も失なってしまう。親戚の家に身を寄せたものの、邪魔者扱いされた二人は、大人の力を借りずに防空壕で二人で暮らす事を決めた。しかし・・・幼い兄弟を待っていたものは、想像以上に厳しく辛い日々の始まりだった・・・これは戦争の時代を精一杯生きた14歳の兄、清太と4歳の妹、節子という二人の兄弟のお話です・・・この、「火垂の墓」は神戸が舞台という事で美しい関西の話し言葉で綴られています・・・関西弁というのは汚い言葉の代名詞の様ですが・・・この作品の話し言葉は美しい昔の関西言葉なのですしかし・・・である。この情緒ある関西の話し言葉を台無しにする英語訳の字幕スーパー・・・こんな風に、この作品を潰していったのです・・・4歳の節子が可愛く・・・「ウチ、防空壕いや ヤナ~~」これが・・・「I hate the shelter」となる・・・そりゃそうだけどナー節子が清太をいつも呼んでいる「おにいちゃん」が、やはり「Brother」となってしまう・・・「うちナ、おなかおかしいネン」「Something's wrong witn my stomact」「うち、もうずっと ピチピチやねん」「I have louse boweis」これでは、4歳の節子の可愛さが、どこかに消えてしまっている「はょ おかえり・・・」これは、関西では「行ってらっしゃい」の後に続く言葉で、「行ってきます」と言う声に「行って らっしゃい、 はょ おかえり」と返すのだ・・・が「はょ おかえり」が「Hurry homel」「もう、遅いからオヤスミ」が「Go to sleep」挙句の果てに・・・「どうぞ おあがり(どうぞ 召し上がって下さい)」が「Go on」・・・GO on というのはナイでしょうせめて、「Please help yourself」くらい・・・これもおかしいのですが最後の感動の場面・・・ここで、涙が流れる場面である・・・「節子はそのまま眼を覚まさなかった」「よく朝、僕はロウセキのかけらの様な節子の骨を ドロップの缶に納め・・・山を降りた。 そのまま、豪へは戻らなかった・・・」「She never woke up again」「Next mcrning I put some of Setsuko's a shes in the can , and left the cave・・・」これじゃー感動はないワナーと・・・となりの長男の嫁を見るとヒーィヒーィと泣いてました・・・この人は何語で理解しているのでしょう・・・案外・・・関西弁で理解してたりして。