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発達障がいな息子たちとの日常

発達障がいな息子たちとの日常

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2014.02.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
母の最期について
なかなか続きが書けないうちに
母と同時期に入退院を繰り返していた義母も
亡くなりました。


入退院7か月、
最後の入院から約20日、
1月26日の未明でした。


母の百か日法要の夜が
義母の通夜となりました。


「お母さん」と呼べる人が
いなくなってしまいました。





結婚して
長女が2歳、
長男が7か月の時から
11年間一緒に暮らしました。


いわゆる二世帯住宅ではなく
文字通りの“同居”。


見たくないものも見えるし
聞きたくないことも聞こえるし
耐えられずに飛び出したこともあり
泣き明かした夜もありました。



義母と母は
真逆の性格。

子どものような、
自分に素直な人でした。


公務員の妻として
常に体面を気にしていなければいけなかった母には
その素直さはありませんでした。

その母と
公務員の父を見て育った私も
自分の気持ちを素直に出せない人間になっていたので
何でも思ったことを口にする義母との同居は
地獄のような日々でした。



でも
いつの頃からか
義母の裏表のなさが魅力に感じられるようになり
私も自分をさらけ出せるようになったので
義母、ではありましたが
母、でもありました。


そして
一緒に出掛けていると
「娘さん?」と聞かれるほど
呼吸が合うようになったのです。



今の私があるのは
義母のおかげでもあります。


次男が1歳になった頃、
たまたま見つけた和太鼓講座に
思い切って申し込んだのも
義母と同居だったからで、
義母なら賛成してくれる、
義母なら子どもたちを預けても心配ない、
と思えたからです。

これが
実母だったら許されなかっただろうし
ましてや
同居でなかったら実現しなかったことです。


その和太鼓も
結局、講座からそのまま続いて11年目。


それも義母のおかげです。


義母は
私が出演する時は必ず見に来てくれました。
子どもたちを置いていくことも
快く引き受けてくれたけど
「私も見たい」と言って
結局、
出演よりうんと早い集合時間に合わせてでも
子どもたちと一緒に同行し
待ち時間の間もずっと
子どもたちの面倒を見てくれていました。

太鼓仲間からは
「親衛隊だね」と言われるほどでした。

私の一番のファンであり
私のチームの一番のファンでもあり
太鼓のファンでもありました。


私のチーム以外にも
太鼓の演奏があれば一緒に観に行ったり
時には自分の友達にも
私の出演を知らせてくれて
「嫁が太鼓やっている」というのが自慢なんだよ、
と言ってくれていたのがうれしかったです。


とにかく楽しいことが大好きで
義母の周りはいつも明るく
真面目な悩みもバカバカしく思えるほど
楽天的でした。


入院してからも
体はしんどくて動きづらくても
常に冗談は忘れない。
看護師さんや同室の患者さんを笑わせて
入院生活でもお友達を作ってしまうという
明るさの天才でした。


弱気なことも一度も言わず
退院してからのことばかり考えていたので
私たち家族も
こんなに早く
しかもあっけなく逝ってしまって
本当に驚き、
いまだに信じられません。





義母は
私が嫁ぐ前から多血症に罹っていました。


多血症は
赤血球数が基準値より多い状態ですが
義母はずっと通院、服薬を続けていたので
とくに何の症状もなく、
逆に
同世代の女性に比べたらとても頑丈で
男性の職場で力仕事をしていました。


車の免許を持っていないし
歩くことが体にいい、ということで
よく歩いていました。

山歩きも好きで
よく子どもたちを山へ連れていって歩かせてくれました。
私が歩くことが嫌いなので
こんな遊びは義母がいなかったらできなかったと思います。


土日も休みがなく
子どもと遊ぶことが嫌いな夫に代わって
休日にはよく公園や川遊びに付き合ってくれました。

夫は一緒に出かけると
運転だけして
目的地では車で寝ているだけでしたが
義母は
徹底的に子どもと遊ぶ人でした。


もしかしたら
自分の息子がこんな人だからこそ
申し訳ない気持ちでそうしてくれていたのかもしれません。


でも
とにかく子どもが好きで
また
よく子どもに好かれる人でした。


仕事で疲れているはずなのに
帰ってきても子どもと遊んでくれて
私より体力があったと思います。



そんな体力自慢の義母が
昨年の春ごろから
息切れや疲れ、だるさを感じるようになり
山へも行けなくなって
通院していた病院で精密検査を受けたところ
脾臓が腫れていることが分かり
即入院となったのです。


改めて
多血症を調べてみると
確かに、症状として「脾臓の腫れ」とありますが
担当医からは一度もそのような説明はなかったし
定期的にレントゲンを撮ることもなく
こうなって初めて知ったという感じです。



危篤の知らせが病院からあった、と
夫から電話があり
駆けつけたのは私が一番でした。


現在の病状を
担当医から一人で聞き
頭の中が真っ白になった頃に
夫が来ました。



その3日前に会った時には
「ご飯もちょっと食べる量が増えたよ~」と明るく話し、
虫歯が見つかって抜歯したんだよ、とか
こっそりジュースも飲んでるんだよ、とか
寝たままでも
おしゃべりな義母らしく
たくさん話したところでした。



その日、
ろれつが回らず、手も足も動かしにくい、と訴え
じきに意識が朦朧としてきて
脳のMRIを撮ったところ
かなりの量の脳内出血が見られたとのことでした。


それは新しく出血したものではなく
いつからか少しずつ始まって
限界が来たようでした。


多血症から
血液すべてのバランスが悪く
輸血を繰り返し
抗がん剤治療も始めたところでした。


白血球、血小板が下がっていて
感染にも極力留意が必要だったし
血が止まりにくいので
小さな傷や打撲にも気をつけていたのですが
臓器や脳内の出血までは
気を付けられるものでもないし
出血を知ることもできない。


もしかしたら
どこかでコツンと頭をぶつけた程度のことが
あったのかもしれないけれど
もう本人に聞くこともできなかったし
聞いてもどうにもならない。


この脳内出血を取り除くには
開頭手術が必要ではあるけれど
白血球、血小板の状況から
それは絶対にできない。

ほかには
小さな穴を開けて管で吸い取る方法もあるが
すでに塊のようになっている血液は
その方法では取り除けない。

検査からは
新しい出血も見られ
どの方法をとっても命を縮めることになり
このまま“時”を待つことしかできない、という状態でした。



目は開かなくても
まだ意識はあり
呼びかけには反応していました。

夕方、
娘と次男を連れていき」
「ばあちゃん、がんばって!」
と子どもたちが声をかけると
小さくうなずいていました。


後から帰宅する長男を迎えに
もう一度帰宅したのですが
その前に
「長男を連れてくるからね」
と声をかけると
大きく頷いたので
家族みんなで驚いたものです。



長男は
一番手のかかる心配な子だったので
反応が大きかったのではないでしょうか。



長男も来た後、
夜になって帰宅する際、

「また明日くるね、おやすみ」

との声かけに

「おやすみ」

と返事をしてくれて
それが義母との最後の会話となりました。


翌日からは声は聞こえているようで
目玉の動きが見られましたが
目を開けることはなく
その翌日にはその目玉も動かなくなり
完全に昏睡状態になりました。


危篤から3日目の明け方、
付き添っていた義父から電話があり
駆けつけた時には息を引き取っていました。


携帯電話を持たない義父母だったので
入院中困るからと
プリペイドの携帯電話を義兄が用意し
喜んでかけてきた義母の
最期を知らせてくれたのも
その携帯電話でした。

その電話で
最後に話した相手は
やはり長男でした。



いつかは、と言われ続けていた義母でしたが
母に続き
こんなにも早く
あっけなく逝ってしまって
人とは
死とは
生とは何だろう、

改めて考える毎日です。



病院の支払いに行って
もらってきた診療明細の
歯科治療の足跡が空しいです。


生きたくて生きたくて
健康でありたかった義母の
あまりに寂しい最期でした。


次男の妊娠前に流産した時
病院から帰った私を抱きしめて泣いてくれた義母。


母が亡くなった後、
「お母さんの分まで頑張るからね」と
泣いてくれた義母。



私は幸せな嫁です。






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Last updated  2014.02.11 08:12:18
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