カテゴリ:思うこと
先日の産経新聞に,興味深い記事が出ていた。
福島県立高校の2年生が、元文部大臣の有馬朗人氏を訪ねて「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。 物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。 「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「自分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」 のちに有馬氏は,「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた。答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」と述べている。 これらの記事や,話を聞いていると,みんなが人のせいにしている。 生徒→先生,文科省,有馬氏 親→学校,文科省 先生→文科省の役人,有馬氏 僕が教えてきた生徒には,優秀な生徒もたくさんいる。彼らを見る限り,学力が落ちたとは思わない。もちろん,努力しているからだ。 人のせいにするのは簡単だ。でも,人のせいにしたところで学力低下が回復するわけじゃない。どうしたらいいかを考えるのが先なのに,みんなすぐ人のせいにする。 学力が下がったのなら,ちゃんと教えれば済むこと。生徒もわからないことをちゃんと言ってくれれば,基礎から教える準備はできている。 だから有馬氏の最後の言葉はとても印象的だった。 「自分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」 「ゆとり」という言葉に逃げているんじゃないかと思う。 自信は勝手につくもんじゃない。自分の努力が下地にあってこそ,自分を信じられる。人から与えられたものが少ないからできない,は言い訳にすぎない。 4月からも自信のない生徒が入ってくるのだろう。 まずは,自信をつけさせることから始めるべきだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 19, 2008 02:42:44 PM
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