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カテゴリ:政治
昨日、車で移動中に松岡農水相死亡のニュースが入ってきた。
その時、即座に頭に浮かんだのは、「殺されたな、しかも安倍に」という考えである。 その後、自殺の方法についての報道がころころと変わっていくのを聞くににつれ、その考えは確信にと昇華していった。 何故か。 テレビで、日頃目にしている松岡のふてぶてしいものの言い方、態度からは、自殺を選択する要素は微塵も感じられなかったからだ。 確かに、松岡は「疑惑のデパート」と呼ばれ、悪の枢軸「安倍内閣」の中心的存在であった。 疑惑の事務所費、疑惑のなんとか還元水費、疑惑の緑資源機構と、3拍子揃えば、小鳥のハートを持つ私などは、とてもいたたまれなくなり、「人の金は自分の金・自分の金は自分の金」と常日頃豪語する、「欲呆け・金呆け・老人呆け・もう1つおまけに戦争呆け」の都知事のいる国に亡命を図るところである。 しかし、松岡はそうではない。 そもそも、第一、彼は国民のために政治など志したわけでもない。 他の自民党議員と同様「金儲け」のために政治を始めたわけだから、いかに疑惑をささやかれようと、それは己の成功を賛美しているとしか聞こえないであろう。 まあ、どう考えても松岡=自殺とは結びつかない。 少なくとも、松岡が潔く罪を認め、閣僚を辞任していれば、今回の「自殺騒動」はそもそも存在しなかったのである。 いずれにしろ、己の延命のためにのみ、他者の命を犠牲にするなど、人として許されることではない。 とにもかくにも、今回の松岡の死を、今までの疑惑の幕引きとすることも許されない。 本丸「安倍」を陥落させるまで、国会内外での撤底的な追求がなされるべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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