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2007年09月17日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
妻を早くに亡くし、男手ひとつで一人息子を育て上げた初老の男が、胃がんで後半年の命と宣告され、絶望に打ちひしがれていた時、彼の課の臨時職員・小田切に触発され、あらためて「生きる」という意味を考え直す。
あらすじはだいたいこんなところである。

ウィキペディアからこの作品の概要を紹介しよう。
生きる(いきる)は1952年10月9日に公開された日本映画である。黒澤明監督によるヒューマンドラマ映画。黒澤映画の中でもそのヒューマニズムが頂点に達したといえる名作。志村喬がブランコをこぐシーンは、日本映画史上に残る屈指の名シーン。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』が、下敷きにされている。作中にそれを暗示するせりふも盛り込まれている。

1953年度のベルリン映画祭において銀熊賞を受賞した。

黒澤明はもともと東宝の監督だったが、戦後に東宝争議の影響で黒澤は独立プロ「映画芸術協会」を設立して他社で『野良犬』『羅生門』などを撮り、1951年には松竹で『白痴』を製作した。労働争議が収束すると1952年に黒沢は東宝へ戻り、20周年企画の映画として『生きる』を製作。

黒澤は作中で積極的に流行歌を取り入れているが、「生きる」では作中に絶望した初老の主人公が口ずさむ歌として「ゴンドラの唄」が選ばれた。「ゴンドラの唄」は吉井勇の作詞、中山晋平の作曲で1915年に芸術座の第5回公演ツルゲーネフ「その前夜」の劇中歌として用いられ、のちに流行歌となった。


確かに、若い女性に触発され自分のあり方をあらためて考え直すというのは、初老の男だけではなく、世間によく話だ。
しかし、「生きる」で初老の市民課長を演じていた志村喬の実年齢は47歳。
大学を出てから30年勤続とすれば、作品中でも50代前半という設定なのだろうが、現在なら、定年に十年近くも間があり、住宅ローンも道半ばであるとなれば、初老などといわれれば今、きっと大変な憤激を巻き起こすに違いない。
ここにも、半世紀におよぶ時の流れを感じる。
主要な出演者14人のうち12人がすでに鬼籍に入っているというところにも、やはり半世紀という時の流れを感じる。
志村喬、金子信雄、浦辺くみ子、小田切みき、藤原釜足、田中春男、左ト全、千秋実、木村功、伊藤雄之助、丹阿弥谷津子、永井智雄、加東大介、菅井きん。
さて、誰がまだ存命中なのか、皆さんにはお分かりだろうか。





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Last updated  2007年09月18日 08時12分29秒
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