|
カテゴリ:写真
私が、カラオケでしばしば歌うのがこれである。
「また、引揚船が帰って来たに 今度もあの子は帰らない この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか」 というセリフで有名な、岸壁の母である。 この歌のモデルとなった端野いせさんは、敗戦後、舞鶴に引揚船が着くたびに我が子、端野新二さんの消息を求めてしばしば舞鶴を訪れていた。 勿論、いせさんだけではなく、行方不明の我が子の消息を求める多くの母親の姿が、当時の舞鶴港には見受けられた。 それを耳にした、作詞家藤田まさとは、我が子への母親の深い愛情と非道な戦争に対する激しい怒りに突き動かされ、一気にこの歌を書き上げたという。 1954年にテイチクより発売された「岸壁の母」は広く国民の支持を得て、ミリオンセラーを記録した。 この歌を歌った菊池章子は、そのレコーディングの際に、しばしば流れ出る涙で録音を中断せざるを得なかったとも聞いている。 また、1972年に二葉百合子の歌で再レコード化された「岸壁の母」は250万枚という空前の大ヒットを記録し、そして、今日、私により歌われるに至ったのである。 ちなみに、いせさんがあれほど帰りを待っていた、息子の新二さんはシベリアの抑留所から解放された後は、上海にレントゲン技師助手として定住し妻子を持ったが、この親子はその後、ついに対面することはなかった。 いせさんは、死ぬまで、自分の息子の生存を信じていて、病床でも「新二が帰ってきたら、私の手作りのものを一番に食べさせてやりたい」と語っていた。 端野いせ、1981年7月1日死亡。 享年81歳。 合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|