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2008年11月29日
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カテゴリ:戦争
信州中川村のHPより転載します。

 
                         2008年11月06日 曽我逸郎

長野県戦没者遺族大会・戦没者追悼式、靖国神社


 長野県戦没者遺族大会と長野県戦没者追悼式に出席した。いろいろ考えさせられることがあった。
 最も気になったのは、たくさんの来賓の方々が挨拶をされ、追悼の言葉を述べられたが、どの言葉も、その場を耳障りよく流れていくことに気をつかうばかりで、真剣に突き詰めて考えられたものではなかったことだ。


 「戦争で亡くなった方々の尊い犠牲があって、現在日本の平和と繁栄があることを、私たちは一瞬たりとも忘れてはならない。」
 登壇したおそらくすべての人がこのようにおっしゃった。様々な戦没者追悼式で必ずといっていいほど言われる言葉だ。しかし、本当にそうだろうか。戦争の犠牲がなければ、平和と繁栄は得られなかったのか。私にはそうは思えない。もし戦争がなくて、平和のまま、犠牲になった兵士や市民が元気に活躍し、それぞれの夢や計画に邁進しておられたら、今の世の中は、もっともっとよいものになっていたのではないのか。戦死した皆さんは、戦争で犠牲となることを強いられることによってではなく、農業や得意とする技術やみずからの構想を実現することによって、日本や社会に貢献することを望んでおられた筈だ。私たちは、かけがえのない人たちを失ったのだ。破壊と殺戮が、どうして平和と繁栄に貢献するのだろうか。
 戦争による死を、「無駄ではなかった、意味があった」と信じたい遺族の方々の感情はよく分かる。しかし、「平和と繁栄のためには犠牲が必要だった」という考えは、危険な芽を孕んでいる。「今後も平和と繁栄のためには時として犠牲が必要となる。」こういう考えを誘い入れかねない。勿論、演壇に立たれた方々がこんなことを主張された訳ではない。しかし、深く考えていないために、突き詰められればこういう考えを容認することになる。
 「世界の恒久平和実現に向けて一層の努力を傾けることを、戦争の犠牲になった皆様の前でお誓い申し上げます。」
 壇上からの言葉の多くは、こういう形で締めくくられた。それと同時に、多くの方が、「今も繰り広げられるさまざまな地域紛争に心が痛む」とおっしゃった。なのに、なぜ、「テロとの戦争」に加担していることは不問に付すのか。誤爆その他で幼い子供を含む多くの一般市民が犠牲になっているにもかかわらず…。それを私たちは私たちの税金によって支援しているのに、なぜ知らないふりをするのか。戦争ができるように憲法を変えようとする動きに、なぜ何も言わないのか。
 「テロとの戦争」と誰かが名づければそれでいいのか。「自由のため」の戦争ならいいのか。「平和のため」の戦争ならいいのか。「繁栄のため」の戦争ならいいのか。「国益のため」の戦争ならいいのか。もしそういう条件付きでの「恒久平和」の希求なら、そのように言うべきだ。しかし、そんなものは恒久平和とは言えない。だから、思考を停止して、その場その場の空気の中で耳障りのいい言葉を流すだけになる。本心では戦争を否定する覚悟はない。
 愚かな政治が始めた愚かな戦争の愚かな作戦に引きずり込まれて、餓え、あるいは熱帯の熱病にうなされ、あるいは極寒の地に凍えて、家族を思い故郷を思いながら、夢を奪われて亡くなっていった方々の無念を真摯に思い致せば、耳障りのよい場当たり的な言葉で済ますことはできない筈だ。真剣に覚悟を決めて絶対的に戦争を拒絶することこそが、戦争の犠牲になった方々の心に適うことだと信ずる。


 もうひとつは、靖国神社のことだ。
 遺族大会のスローガンの第一は、「総理 閣僚などの靖国神社参拝の定着をはかること」だった。2番目は、「(靖国神社を形骸化する)国立の戦没者追悼施設新設構想を断固阻止すること」だ。
 遺族の方々の靖国神社に対する思いは、想像できなくない。戦争当時は、靖国神社に深い思いがあっただろうし、亡くなった兵士もいろいろな言葉を残しておられただろう。
 だけれども、私がその気持ちを素直に共有できないのは、靖国神社が純粋に追悼の施設ではなく、明治2年の創建以来一貫して次の戦争に向けて国のために死ねる兵士を用意するための施設でもあったからだ。兵士やその家族にとっては前者であっても、国にとっては、建前はともかく本音においては後者であった。そのことに対する総括を靖国神社はおそらく未だ行っていない。であれば、靖国神社は今でもそうだということになる。それは、併設された遊就館の展示を見れば分かる。戦没者ひとりひとりの心の襞は十把一絡げに塗り篭められ、ステレオタイプな自己犠牲の美化と忠君愛国の勇敢さが強調される。この点は、たとえば長野県上田市の戦没画学生追悼施設「無言館」とのあきらかな対比だ。そして、先の戦争は「止むを得ない戦争」だったという。つまり、もう一度同じ状況になれば、また戦争をする、ということだ。今、靖国神社の周囲で活動する人たちも、日本を戦争のできる国にしようとする人がほとんどだろう。
 靖国神社の過去を振り返り、現在のあり方を見れば、諸手を挙げて靖国神社に賛同することはできない。しかし、遺族の皆さんの気持ちも分かる。ではどうすればいいのか。
 実現性は度外視して、理屈だけで考えれば、靖国神社が純粋に追悼のためだけの施設になれば、問題の核心は解消される。遺族会がスローガンで切望する「総理・閣僚の参拝」へも道が開けるに違いない。すべての国民のみならず近隣諸国の人たちのわだかまりも薄れるだろう。
 A級戦犯合祀問題も政教分離の原則も、もし靖国神社が純粋に戦没者を追悼する施設になり次の戦争で死ねる若者を準備する機能を名実ともに捨てるなら、それほど重要な問題ではなくなる。靖国神社が戦争準備施設であることこそが、一番の問題なのだ。
 では、国のために死ねる兵士を準備することをやめて、純粋に追悼の施設になるには、具体的にはどうすればいいのか。


1 過去のあり方を反省し、亡くなった兵士と遺族に謝罪すること。

2 天皇の側で戦って亡くなった兵士だけではなく、近代以降の日本がかかわったすべて    の戦争の犠牲者を、敵味方を問わず、顕彰ではなく追悼していくこと。

3 合祀の取り下げを望む遺族の要望を受け入れること。

 正直なところ、靖国神社が受けいれてくれるとは、私にも思えない。単なる思考実験に過ぎないのかもしれない。しかし、もし靖国神社が純粋に戦死者を悼むだけであるならば、上記3点に問題はないはずだ。もし受けいれられないとすれば、純粋に戦没者を悼むだけではないということになろう。戦没者の死を他の目的に利用するようなことは、あってはならないと思う。遺族会の求めて止まない「総理・閣僚の靖国神社参拝」も、静かに追悼のできる状況づくりも、根本のところでそれを難しくしているのは、靖国神社自身ではないだろうか。是非、靖国神社には、純粋に戦没者を追悼する施設になって頂きたいと願う。


 最後にもう一点、戦没者遺族大会の「宣言(案)」の冒頭には、このようにあった。
 『先の大戦の終結から六十三年を経てなお、世界各地で紛争が絶えない。
 我々戦没者遺族は、「二度と戦争をしない、我々のような遺族を出してはならない」ことを改めて確認し、世界の恒久平和実現に努める。』
 しかし、大会全体の印象としては、宣言のこの部分も、来賓の祝辞と同様に突き詰めた覚悟の表明とは思えなかった。大会では、遺族会を支持母体とする国会議員への支援も呼びかけられたが、その一方で政治が憲法を戦争のできるものに変えようとしていることや、「テロとの戦争」に日本が加担していることに対しては、一言の言及もなかった。
 ひとりひとりの遺族の皆さんの中には、紛争に心を痛め、これ以上戦争犠牲者と遺族を出さないためにはどうすればいいのか、真剣に考えておられる方も大勢おられると思う。しかし、会としては、「宣言」の後半にあった様々な要望のために政府与党への配慮が必要なのか、平和への思いは突き詰めたものになっていない。
 遺族の方々は、本来は最も嫌戦的である筈の人たちだと思う。その方々の暮らしをしっかりと応援し強固な連携体制をとってこなかったのは、平和勢力の落ち度だ。
 遺族会も含めた広範な力を結集して、殺し合いはいけないというあたりまえのことが、あたりまえに受けいれられる世界を作っていかなくてはいけないと思う。


 ご意見お聞かせ下さい。


 (この文章のホームページ掲載は、長野県遺族会と靖国神社にもお知らせしました。)







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Last updated  2008年11月29日 11時09分11秒
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