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カテゴリ:政治
普仏戦争での敗北を認めなかったパリ市民は、1871年3月、武装蜂起しパリコミューンを樹立した。
これが世界初のプロレタリア独裁政権である。 パリ市民による選挙が行なわれたのち、3月28日にコミューンの成立が宣言され、5月20日までパリを統治することとなり、常備軍の廃止、女性参政権の実現、児童夜間労働の禁止、政教分離などの革新的な政策が打ち出された。 しかし、ヴェルサイユ臨時政府による攻撃とドイツ軍の包囲の中での血の一週間と呼ばれた激しい戦闘は、最後の拠点となったペール・ラシェーズ墓地での連盟兵の全滅により幕を閉じ、パリコミューンは崩壊した。 この連盟兵最後の拠点となったペール・ラシェーズ墓地にはまた多くの有名人も眠っており、今では、パリ観光のスポットともなっている。 そしてここには私の大好きなシャンソン歌手エディット・ピアフも眠っているのである。 写真のイニシャルのEPとはエディット・ピアフの略である。 ピアフは大変小柄な女性で、身長142センチ、その小柄な体を振り絞るように歌ったことからちいさな雀(Piaf)との愛称がつけられるようになった。 彼女の本名はエディット・ジョヴァンナ・ガションといい、1915年12月19日ベルヴィル街72の路上で生まれたとの伝説がある。 フランスで最も尊敬されている歌手の一人であり、その歌は今でも愛され続けており、彼女のお墓に供えられる花が途切れることはない。 エディト・ピアフの数奇な生涯についてはいずれまた紹介さていただく。 パリコミューンに関しては、KUMA0504さんの 「1873年モンマルトルの丘」 が大変な力作です。是非お読みください! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年06月14日 04時27分49秒
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