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1960年6月15日、日米安保に反対する30万人の大部隊が国会を2重3重に取り囲み、そのうちの全学連主流派が衆議院南通用口から国会内に突入した。
その際、警察機動隊の無慈悲な弾圧により、当時東大生であった樺美智子さんは虐殺されたのである。 あれからもう60年経つ、あの暑い日30万の隊列の中にあった樺さんは汗みずくで走り続けたのであろう。 310万の自国民を殺し2000万のアジアの人々を虐殺した大日本帝国のA級戦犯であり絞首台にかけられて当然のファシストが米帝国主義との裏取引により絞首台から救い出されCIAのスパイとして日本政界に暗躍することになった岸信介である。 その不正腐敗を許すことが出来なかったのは一人樺さんだけではなかった。 だからこそ30万の人々が国会を取り囲んだのだ。 樺さんは殺された、しかし樺さんのことを忘れない人々がこうしてここに追悼のために集まったのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年06月16日 19時11分40秒
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