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2021年02月28日
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カテゴリ:政治
1970年2月25日京王線武蔵野台駅前で日大闘争のビラを配布中、突然襲撃してきた右翼体育会の集団の蛮行により全共闘戦士中村克己君は頭部に重傷を受け3月2日に亡くなった。
享年22歳。
1971年の一周忌を機に八千代霊園に中村克己君の墓碑が建立された。
そしてそれから50年、八千代霊園の墓碑は撤去され、今はここ、南大沢バードヒルズに中村克己君は両親とともに眠っている。

高橋和己氏の著書「明日への葬列」の中で中村克己君はこう記されている。

「70年2月、京王線の武蔵野台駅前で学園民主化を訴えるビラを散布していた日大生中村克己が、体育会系の学生に襲われて重傷を負い、数日後、病院で死去した事実は、権威にしがみつく権力附帯者たちの、保身の仕方を象徴的に示している。そして、その際も当局による死因表明は、【京王線の登り特急に接触したための、交通事故】であり【本人の不注意による自損行為である】というのだった」

そしてその序章には、「始めは人々に悼まれた死は、十年の経過のうちに、いつしか、そっぽをむかれ、無視され、ついには、その死すら始めからなかったものとされるようになってしまっている」とも記されている。

十年経たずして風化してしまう、いや風化させられてしまう諸々の闘いの記憶なのだが、50年経った今も私たちの中に鮮やかに残っている闘いの記憶は、その闘いそのものが、歴史的必然性から発生したものであることを明確に物語っている。
だからこそ、中村克己君の闘いと死は語り継がれていかなければならないのだと思う。







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Last updated  2021年02月28日 16時09分25秒
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