同人誌「遙」
じゅんぺいさんから同人誌「遙」が届いた。私の知り合いに、「じゅんぺいさんから同人誌がどっさりと届いたよ」、と話すと、「へえやっぱり老人には『老人誌』が届くんだ」、などと本気とも冗談ともつかないことを言われて少し凹んでしまった。隔月刊で立派な装丁で当然内容も立派なプロ顔負けの同人誌である。にほんブログ村2010年1月25日発行の遙第44号の目次を少しだけ紹介しよう。論説ある鉄道マン=ぽっぽ屋の嘆き原子力の四十年エッセー中野重治のようにアルツハイマーの恐怖私の中の「沈まぬ太陽」札幌の思い出所思皆妄想中村君の味噌汁平山郁夫さんを偲ぶ看護日誌竹の針私の音楽遍歴(九)仙台編日日雑感散歩11月三日時計のある風景日日是好日と目次だけでもその内容の濃さが想像できるというものだ。それでは「私の音楽遍歴」のなかから一部抜粋して掲載させていただく。 九月ころには、学習雑誌の「まなぶ」友の会で知り合った年上の彼女もできた。その彼女とは仙台在住時代、生まれて初めて彼女とライブに行った。その歌手はモノクロームヴィーナスでブレイク中の池田聡であった。チケットを購入したのは割と最後のほうであったために後ろの席であった。しかし池田聡の甘い歌声は当時、まだ付き合い始めたばかりの二人を包み込んだ。 翌年の正月を過ぎてのある事件をきっかけに、突然二人は別れてしまった。悪いのは私のほうなのだが、そのあとの彼女の取った態度が二人の仲を決定的にしてしまった。まあどうにも修復ならない状況になって別れが決定的になった時、一人回送バスのなかでなぜか浜田省吾の「片想い」を泣きながら歌って運転していたので、もしすれ違って気付いた人は怪訝に思ったかもしれない(まあ夜の回送バスで室内灯も消灯して車内は真っ暗になっていたので気付いた人はいないと思うが…)。このエッセーを読んでいてなんだか自分のことのような気がしてきた。そういえば、あのころは半年に1回は失恋をしていたなあ。じゅんぺい頑張れ!