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カテゴリ:日常・その他
ツーことで、今日は多少雲が浮いているから時折遮られるものの、陽射しが降り注いでいる?(^^ゞ 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は9度弱で、北よりの風が吹き、日照があるからか、午前10時の気温は13度と昨日よりは1度くらい高くなっている?(^^ゞ とはいえ、風は冷たく、肩から二の腕にかけては冷えたのか、バキバキ言っているような?(T_T) 掛け布団を引っ張り出したけど、体幹はまた暑く感じるのか、寝ている間に肩から腕を布団の外に出してしまい、それが冷えて目が覚めるんだよね?(T_T) 寝ているときに冷え切っているからか、起きてから数時間経っても肩から二の腕がしんどいのかなぁ…(T_T) それに風邪の初期症状なのか、右耳がグチュグチュ言いだしていて、頭もぼんやりしちゃっているような?(T_T) だからモチベーションもないし、マジでどうしたもんだか…(T_T) こよみのページによると、今日は「太陽暦採用記念日…1872年(明治5年)のこの日、太陰暦をやめて太陽暦を採用するという詔書が布告されたことによる。実施はこの年の12月からで12月3日を明治6年1月1日とした」、「秋季全国火災予防運動…11月9日~15日の1週間。消防庁が1950(昭和25)年から全国的に展開している運動で、火災の起こりやすい春(3月1日~7日)と秋の2度行われている」、「119番の日…1987年(昭和62年)に自治省消防庁が消防発足40年を記念して設けた日で、一般の人にもっと防火・防災の意識を高めてもらおうというのが狙い。11月9日にしたのは消防のダイヤルナンバー119にちなんで」、「換気の日…日本電機工業会が1987年(昭和62年)に制定。11月9日は「いい空気」の語呂合せ。最近の住宅はアルミサッシの普及などで密閉度が高く、十分な換気が行われず、カビの発生することも多い。そこでもう一度室内の換気を見直してという意味がある」だとか。
ところで、相変わらず気温のアップダウンに振り回されて体調が芳しくないので、今日もザックリ短めの四方山話になるのかな? 昨日のニュースである大物芸人の名誉棄損に関わる民事裁判が和解したと報じられていた。よくわからないんだけど、週刊誌側が客観的な証拠がないことを認めたからか、芸人が「被害者に謝罪する」ということで金銭的なやり取りはなしに訴訟を取り下げるということになったとか? 詳しいところは解からないんだけど、「証拠はないけどそうらしい」というレベルで週刊誌は記事を書いても責任を負うことはないらしく、この「そうらしい」が曖昧だからややこしいのかな?しかも、事実かどうかについても「~と○○が言っていた」ということで免罪符にもなるのだ。しかも、ソースを保護するためにそれが誰かを明かさなくてもいいということになっているから、酷い時には「存在しない人」があたかも言ったかのように記事にすることも不可能ではない。実際にいる人でもその人が言ったニュアンスを少し変えて書くこともできないわけではなく、結果としてまるで違うことを記事にしてしまうこともないわけではない。そもそも真実を追求しようという気持ちが強すぎて超えてはいけない一線を超えてしまうこともあるんじゃないかな? ツーか、週刊誌の記事というものは真面目に綿密に取材している場合と、SNSとかで流れてきたものをそのまま記事にしちゃうようなものまで玉石混交で、それを見極めるのもそう容易でもない。つまり、いい加減な記事に踊らされて大騒ぎなんてこともママあるんじゃないかな?もちろん、玉石混交だってことを週刊誌が認めることができるわけもなく、すべて「自信がある」とするしかないのだ。まぁ、週刊誌は営利企業で、お金を儲けるためにいろいろなものを取材し、記事にしないといけないわけで、その質が常に高いものであるとは限らないのだ。そもそも、情報ソースがホントのことを言っているかどうかすら担保されていないわけで、そんなところで記事を書いている週刊誌はできるだけ責任を負わないような「工夫」をしているわけで、まぁ、これは仕方ないことだろう。 しかし、記事に書かれてしまう方からすれば曖昧な情報をベースにあたかもホントのことのように流布されるわけで、これを覆すのは容易じゃない。記事が嘘だと訴えたとしても全部が嘘でもない限り訴えが認められることはない。そもそも上に書いたようにいろいろな抜け道を作っておいて嘘だと断じるのが難しいようにできているから、全面的に悪いってことになりにくいのだ。だから、「嘘」で傷ついた人が失地回復しようとしても難しいのだ。「嘘」が多少認められても失ったものをカバーできるためのものを得ることはほぼないのだ。 今回の訴訟ではどうやら「誰が言っているのか」を明らかにしないまま「客観的な証拠はない」と認めさせることで「嘘かもしれない」ということが可能になったということだろう。つまり、実際に何が起きたのかについては水掛け論というか、確認のしようがないことってことになったんじゃないかな?だから、「飲み会に参加して嫌な気持ちになったとしたらお詫びしたい」という玉虫色なことになるわけだ。被害にあったという人が芸人と対面すればはっきりするかもしれないけど、誰ともわからない相手にってのは気持ち悪いものがあるでしょ?正直な話、キチンと口にしなければ嫌かどうかは相手に伝わらないのに、後になって「実は嫌だった」というのはどうなんだろう?ある意味、ハニートラップやり放題ってことになりかねない。まぁ、「厭だ」って言えないからハラスメントだってことになるけど、「厭だ」といって不利益を被る可能性がない時に「厭だ」といわないのはどうなんだろうって思ってしまう。 まぁ、いろいろなハラスメントってのはいまだにはっきりしないところがあり、嫌な思いをさせられたのが正当な理由があるのかどうかってのがまずあり、「厭だ」といったときに不利益を被る場合にハラスメントとなるのかな?つまり、不利益を被らないのに「厭だ」といわず、あとから「厭だった」というのはどこまでハラスメントといっていいのかわからなくなってしまう。「厭ではない」という意思表示がある場合はってこともややこしくなるでしょ? 結局すべてが闇の中の出来事で我々があれこれ考えたところで何もわからない。けどまぁ、これも週刊誌の在り方への一石なのかもしれない。解からないことだから、マジでわからないんだけどね?(T_T) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年11月09日 13時24分05秒
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