National anthem of Ukraine Ще не вмерла Україна ウクライナは滅びず Державний Гімн України 国歌 国連総会でロシア非難決議を採択
#ウクライナ #ウクライナ国歌 #ウクライナは滅びず #ウクライナ #ウクライナは滅びず #ウクライナ国歌 00:00 ハリコフ州庁舎にミサイル00:14 キエフのテレビ塔にミサイル00:43 ウクライナ軍がロシア軍に善戦00:55 ロシア軍の車列が64キロメートル01:35 EU条約2007年リスボン条約第42条1項02:02 トルコ ボスポラス海峡 ダーダネする海峡のロシア艦艇通過制限02:34 ロシアでも反戦デモ03:27 200rf.com ロシア兵を検索できるサイト03:49 ウクライナ大使館 東京都港区西麻布3-5-31ウクライナの国歌(宇: Державний Гімн України)は、ウクライナの国家象徴の一つ。国歌の名は「ウクライナは滅びず」 (宇: Ще не вмерла Україна)。1862年にパヴェル・チュビンスキー (Павло Платонович Чубинський) が作詞、1863年にミハイル・ヴェルビツキー (Михайло Вербицький) が作曲。ロシア革命が起こった1917年に独立を宣言したウクライナの民族主義者によって国歌に採用され、ソビエト連邦に併合されるまで使用された。ソ連から独立後、1992年に議会によりウクライナの国歌として復活。2003年3月6日、最高議会でウクライナ国歌法案が成立。歌詞を一部修正の上、正式に国歌に採用。なお、1938年にチェコスロバキアから独立した国家、カルパト・ウクライナ共和国でも国歌として採用された。2003年3月6日制定の現行の国歌歌詞(最後の2行は繰り返して歌う)ウクライナ語Ще не вмерла України і слава, і воля,Ще нам, браття молодії, усміхнеться доля.Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.Душу й тіло ми положим за нашу свободу,І покажем, що ми, браття, козацького роду.ラテン文字化Šče ne vmerla Ukrajiny, i slava, i voľa,Šče nam, bratťa molodiji, usmihneťsia doľa.Zhynuť naši vorožeńky, jak rosa na sonci,Zapanujem i my, bratťa, u svojij storonci.Dušu j tilo my položym za našu svobodu,I pokažem, ščo my, bratťa, kozaćkoho rodu.日本語訳ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず若き兄弟たちよ 我らに運命はいまだ微笑むだろう我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう兄弟たちよ 我らは我らの地を治めよう我らは自由のために魂と身体を捧げ兄弟たちよ 我らがコサックの氏族であることを示そうDraft version of lyrics used prior to 2003(note how the first stanza is different from the official version)Ukrainian original Ще не вмерла України ні слава, ні воля.Ще нам, браття-українці, усміхнеться доля.Згинуть наші вороженьки, як роса на сонці,Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.Приспів (×2)Душу й тіло ми положим за нашу свободу,І покажем, що ми, браття, козацького роду!Станем браття, в бій кривавий, від Сяну до ДонуВ ріднім краю панувати не дамо нікому.Чорне море ще всміхнеться, дід Дніпро зрадіє,Ще на нашій Україні доленька наспіє.Приспів (×2)А завзяття, праця щира свого ще докаже,Ще ся волі в Україні піснь гучна розляже.За Карпати відіб'ється, згомонить степами,України слава стане поміж народами.Приспів (×2)RomanizationŠče ne vmerla Ukrajiny, ni slava, ni volja,Šče nam, brattja ukrajinci, usmichnetjsja dolja.Zhynutj naši voroženjky, jak rosa na sonci,Zapanujem j my, brattja, u svojij storonci.Pryspiv (×2)Dušu y tilo my položym za našu svobodu,I pokažem, ščo my, brattja, kozacjkoho rodu!Stanem brattja, v bij kryvavyj, vid Sjanu do DonuV ridnim kraju panuvaty ne damo nikomu.Čorne more šče vsmichnetjsja, did Dnipro zradije,Šče na našij Ukrajini dolenjka naspije.Pryspiv (×2)A zavzjattja pracja ščyra svoho šče dokaže,Šče sja voli v Ukrajini pisnj hučna rozljaže.Za Karpaty vidib’jetjsja zhomonytj stepamy,Ukrajiny slava stane pomiž narodamy.Pryspiv (×2)English translationUkraine has not yet died, nor her glory, nor her freedom,Upon us, fellow Ukrainians, fate shall smile once more.Our enemies will vanish, like the dew in the sun,And we too shall rule, brothers, in a free land of our own.Refrain (×2)Souls and bodies we'll lay down, all for our freedom,And we'll show that we, brothers, are of the Cossack nation!We'll stand, brothers, in bloody battle, from the Sian to the Don,We will not allow others to rule in our motherland.The Black Sea will smile and grandfather Dnipro will rejoice,For in our own Ukraine fortune shall shine again.Refrain (×2)Our persistence and our sincere toils will be rewarded,And freedom's song will throughout all of Ukraine resound.Echoing off the Carpathians, and across the steppes rumbling,Ukraine's fame and glory will be known among all nations.Refrain (×2)ウクライナの国旗(ウクライナのこっき、ウクライナ語: Державний Прапор України)は、青・黄の二色旗。ウクライナ憲法20条に明確に定義されている。ウクライナ人とウクライナ民族解放運動を象徴する旗としては、1848年革命から知られている。旗色は、中世のルーシ王国の国章による。「青の空と黄の麦畑」を表す。20世紀中、ウクライナ人民共和国・西ウクライナ人民共和国・ウクライナ国・カルパト・ウクライナなどの国旗として用いられ、さらに反ソ・反共の組織であるウクライナ蜂起軍の軍旗、且つウクライナ系知識人のシンボルでもあった。1991年9月18日、ウクライナ最高議会が二色旗をウクライナの国旗と決定。8月23日は「国旗の日」というウクライナ国民の祝日。青黄旗(せいこうき)、黄青旗(こうせいき)とも呼ばれる。由来は、二説+αある。青色は空を表し、金色はステップ(草原)に豊かに実る小麦を表す。もう一方の説は、青色は水で、金色は火を表す。あるいは、黄色は向日葵であるという説もある。この二つの色は、長い間、ウクライナ人のシンボルとして使われている。金色と青色の旗や紋章は、古くはキエフ・ルーシの大公ヴォロドィーメル1世の時代から使用。ウクライナの国章「トルィズーブ」(三叉戟:さんさげき)も、同様の経緯を持つ。1410年、タンネンベルクの戦いで、史料上に初めてウクライナの黄青(金青)の旗が登場。西ウクライナ出身の騎士たちは、坂を上っている金色のライオンと羽を開いた二頭の金色の鷲で飾った2つの青い旗の下でポーランドの王の本陣に馳せ参じた。16世紀から18世紀にかけてウクライナ・コサックの間で広く使用。1848年、ウクライナ民族主義の盛り上がる中、正式にウクライナ民族を現す旗として黄色と青色の旗が選定。但し、このときは黄色が上部だった。この旗が選出された西ウクライナは当時オーストリア=ハンガリー帝国領下だった。1918年、ロシア革命後、当時の独立国家ウクライナ人民共和国のウクライナ中央ラーダ(中央議会)で正式に国旗として制定。西ウクライナ人民共和国やウクライナ国でも同様の国旗が使用された。ウクライナ・ソビエト社会主義共和国時代には、他のソ連構成共和国の国旗に類似した下部が青色で上部が共産主義を表す赤色の国旗が使用された。赤色の部分には、鎌とハンマー、赤い星があしらわれていた。1991年、ソ連が崩壊。1992年、ウクライナが独立。ヴェルホーヴナ・ラーダ(最高議会)で中央ラーダ時代の国旗が再制定され、国旗の縦横比も国連に準じて2:3に改められた。現在のウクライナは、国旗・国章・国歌ともに中央ラーダ時代のものを踏襲している。ウクライナの国旗縦横比 2:3制定日 1992年1月28日使用色 青(パントーン285c/CMYK=70-40-0-23)金(パントーン108c/CMYK=0-11-91-2)