第32回 小牧長久手の激闘 どうする家康 解説 大河ドラマ
羽柴秀吉(ムロツヨシ)が抱える10万の大軍に対し徳川家康(松本潤)はあえて前進し、小牧山城に兵を集める。互いにどう動くか探り合いが続くなか、家康の家臣・榊原康政(杉野遥亮(すぎの ようすけ)は秀吉の悪口を書き連ねた立札をばらまいて秀吉を揺さぶる一方、城の周辺に謎の堀をつくり始める。徳川軍が守りに入ったと考えた池田恒興(徳重聡)は、家康を引っ張り出すため、岡崎城の攻撃を秀吉に献策。進軍を開始するが、まさにそれこそが家康の狙いで・・・。[年表]天正12年 3月18日 家康は小牧山城を占拠。周囲に砦や土塁を築かせ羽柴軍に備えた。 3月21日 秀吉、兵30,000を率いて大坂城を出発。 3月25日 秀吉、岐阜に進軍。 3月27日 秀吉、犬山に着陣。 3月28日 秀吉、楽田城に着陣。 4月4日 池田恒興は秀吉のもとを訪れて三河中入り、献策。 4月5日 朝、岳父・池田恒興は秀吉のもとを再度訪れ、娘婿・森長可とともに羽黒の戦いの恥を雪ぎたいと述べた。秀吉はついに三河中入りを許可。翌4月6日に三河西部へむけて前進すべしと命令。 4月6日 夜半、三河中入り作戦。支隊、出発。第一隊 池田恒興 5,000人第二隊 森長可 3,000人第三隊 堀秀政 3,000人第四隊 羽柴秀次 9,000人 4月7日 家康は羽柴秀次勢が篠木(シノギ)(春日井市)・上条城(じょうじょうじょう)の周辺に、2泊宿営した頃、近隣の農民や伊賀衆からの情報で秀次勢の動きを察知。 4月8日 秀次勢は行軍を再開。 4月9日 岩崎城の戦い。丹羽氏重、討ち死に。享年16。加藤景常(かとう かげつね)、討ち死に。長久手の戦い。森長可、討ち死に。享年27。池田恒興も永井直勝に討ち取られた。享年49。嫡男・池田元助も、討ち死に。享年26。 4月9日 秀吉は陽動として小牧山へ攻撃。午後、白山林(はくさんばやし)の戦いの敗報が届き、秀吉は3万人の軍勢を率いて戦場近くの龍泉寺に向けて急行。しかし、500人の本多忠勝勢に行軍を妨害された。夕刻、「家康は小幡城(おばたじょう)にいる」との報を受け翌朝の攻撃を決めた。夜間、家康と信雄は、小幡城を出て小牧山城に帰還。 4月9日 羽柴秀長が松ヶ島城を開城させた。城主・滝川雄利は浜田城(三重県四日市市)に移って籠城。