第35回 欲望の怪物 どうする家康 解説 大政所と井伊直政 北政所と豊臣秀長と豊臣秀吉と徳川家康 真田昌幸と沼田問題 石田三成が登場 大河ドラマ
#どうする家康 #豊臣の花嫁 #徳川家康 家忠日記。天正14年10月晦日の記事。秀吉が生母・大政所、人質に出すという一手。岡崎に到着見届けて、家康、大坂に!ついに、家康が秀吉に大坂城で臣従儀礼!さすがの松平家忠も興奮してますね!「どうする家康」第35回「欲望の怪物」あらすじ秀吉(ムロツヨシ)は生母・大政所(おおまんどころ)こと仲(高畑淳子(たかはた あつこ)を、徳川家康(松本潤)の上洛と引き換えに人質として岡崎へ送る。秀吉は家康を歓待する中、妻・寧々(和久井映見)や弟・秀長(佐藤隆太(さとうりゅうた))を紹介し、諸大名の前で一芝居打ってくれと頼みこむ。大坂を発つ前夜、秀吉から北条と真田の手綱を握る役目を任された家康は、一人の男と出会い興味を持つ。それは豊臣一の切れ者と名高い石田三成(中村七之助)だった。[年表]天正14年 9月24日 家康が浜松城を出発、岡崎城へ入った。秀吉が家康へ上洛を求める使者を送った。 9月26日 岡崎城で評議。酒井忠次ら家臣一同は上洛に反対。家康は上洛を決定。三河物語。使いは、朝野弥兵衛、津田四郎左衛門、富田平右衛門、尾州より小田源五、瀧川三郎兵衛、土方彦三郎、越し候。 9月26日 岡崎へ越し候。城へ出仕候。殿様御上落(洛)に相定り候。使いは、朝野弥兵衛、津田四郎左衛門、富田平右衛門、尾州より小田源五、瀧川三郎兵衛、土方彦三郎、越し候。 9月27日 殿様、浜松へ帰られ候。 10月4日 45歳 家康、権中納言(ごんちゅうなごん)。 10月5日 石田三成・増田長盛が直江兼続へ、景勝上洛の際、真田討伐後は真田領を与えるとしたが、真田征伐を中止したと伝えた。覚上公御書集。 10月9日 田村清顕、死去。 10月13日 秀吉の生母・大政所が京都、出立。 10月14日 御上落(洛)に付て、家康様、浜松より吉田まで越され候由候。池(野)有助、御伴にて寄り候。 10月15日 會下へ参り候。家康様、吉田より吉良へ御通り候。宇谷にて御目に懸り候。 10月16日 西尾へ進上物を遣し候。 10月17日 夜、雨降り。秀吉御母大政所、家康様、御上落(洛)候人質に、明日十八日に岡崎まで被越され候間、夜通し御迎えに越し候え候由、本田作左衛門所より、申し来り候。夜通し、岡(崎)へ越し候。 10月18日 秀吉の生母・大政所が岡崎城へ到着。多聞院日記。 10月18日 大政所御迎えに、知(池)鯉鮒((ちりゅう))までこし候。岡(崎)へ御移り候。深溝帰り候。 10月20日 家康、岡崎から京都に出発。 10月20日 家康様御上落へ、御送りに宇頭(うとう)まで越し候。那子屋(名古屋)まで御越し候由候。進上物、馬壱疋進ぜ候。馬衆おり、交配方、色割り交ぜ。 10月24日 家康、京都の茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)の屋敷に入った。 10月26日 家康が大坂に到着。秀吉の弟・秀長(美濃守)邸に宿泊した。その晩、秀吉自ら家康の前に現れて臣従を求めた。(『家忠日記』・『徳川実紀』)。 10月27日 徳川家康が秀吉の大坂城で臣従。金100枚、縮100反を贈った。秀吉は家康に近侍していた本多忠勝と榊原康政の小牧・長久手の合戦時における武勇を賞した。出典:『宇野主水記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 10月晦日 殿様、去る廿六日に、大坂へ御着き成られ候。御宿は美濃守なり。明日廿七日、関白様と御対面成らるべく候処、秀吉待ち兼ね成され、その夜、御宿へ越され、殿様御手を取らせられ候て、奥の御座敷へ成られ候由、御存分、御入魂とも仰せられ、中々申し計りなく、則ち、御酒盛りに被成られ、関白様御酌にて、御盃を殿様へ進ぜられ候。また酌を殿様取らせられ候て、関白様へ進ぜるゝこと。御下りの儀は、来る七日に御参内にて、八日に成るとも、九日成るとも、殿様御使を、仰せられ候事、岡崎より御注進候。 11月4日 秀吉が上杉景勝へ書状。上洛の際、伝えた通り、真田昌幸、小笠原貞慶、木曽義昌は家康の与力大名とする。真田討伐は景勝のために中止した。景勝からも真田へ赦免を伝えるべし。新発田重家の討伐に専念するよう命じた。上杉家文書。 11月4日 関白殿、殿様へ進ぜらる物。一 白雲つぼ 一 正宗の脇指 一 三好郷の刀 一 巣大鷹 一 唐の羽織家康より関白殿へ進ぜられ候物。一 御馬十疋 金子百枚 梨地の御太刀 11月5日 家康、正三位(しょうさんみ)。 11月7日 正親町天皇、孫・和仁(かずひと)親王に譲位。 11月7日 家康御位、中納言に御成り候。 11月10日 雨降り。家康御下りの御迎えに、智(池)鯉鮒まで越し候。大鷹まで御越し候よし候。 11月11日 家康が岡崎へ戻り、その後、浜松へ帰還。 11月11日 御迎えに大鷹際まで越し候。御目に懸り、岡崎まで御供申し候。お長様も浜松より御越し候。 11月12日 井伊直政の警護のもと、大政所が大坂へ引き返した。 11月12日 大政所御帰り候。深溝帰り候。井野兵部少輔、送りに参られ候。 11月15日 吉川元春が豊前小倉城で死去(57歳)。 11月19日 殿様、明日御帰り候由、申し来り候。 11月20日 殿様御一献、迎い野にて申し候。水野清六殿越され候。長刀出し候。 11月21日 秀吉が真田昌幸へ、曲事(くせごと)だったが赦免するので上洛するように命じた。真田家文書。 11月23日 井伊直政、従五位下に叙位。豊臣姓が下賜された。 11月25日 和仁親王は後陽成天皇として即位。 12月4日 家康、浜松城から、駿府城に移転。 12月4日 殿様、今日駿(府)へ御座候由候。 12月12日 仙石秀久を軍監とした長宗我部元親・長宗我部信親・十河存保らの四国勢が派遣。豊後戸次川(へつぎがわ)(現在の大野川)において島津家久と交戦。仙石秀久の失策。長宗我部信親や十河存保が討ち取られ、敗戦(戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい))。 12月19日 秀吉が内大臣、辞職。 12月25日 秀吉、太政大臣兼帯。豊臣政権、成立。1587年 天正15年 2月24日 真田昌幸が小笠原貞慶とともに、大坂城で、秀吉に謁見。 2月24日 秀吉が上杉景勝に書状。もし北条が下知(命令)に背き、佐竹、宇都宮、結城を攻撃したならば、後詰を命じるので、そのつもりで用意しておくように、と命じた。上杉家文書。 3月1日 秀吉、2万5,000余の大軍を率いて大坂城を出陣。 3月14日 久松俊勝(佐渡守)、没。享年61。 3月14日 阿部吉右衛門所にふる舞いにて越し候。久松佐渡守に、三州西郡にて、御死去候。 3月17日 家康様、遠州より帰られ候。 3月18日 真田昌幸、小笠原貞慶とともに、駿府で徳川家康と会見。酒井忠次が同行。家忠日記。