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テーマ:フィギュアスケート(3628)
カテゴリ:フィギュアスケート
本当は好きな選手の事だけ書きたいのだが、今回はヨナ選手と比較される事ばかりだった真央ちゃんなので、その比較の対象としてヨナ選手の事も書かなくては仕方ない。 今回のオリンピックのヨナ選手のは、本当に今の採点ルールを研究し尽くされて作られたプログラムだと思う。とにかく加点をどれだけもらえるかを目標にしてきたのだ。北米でのオリンピックで、そこでの観衆の好みを捉えた選曲、そして何より精神力が強かった。どんなに練習しても、本番でミスしたら完成度は下がってしまう。真央ちゃんは今回その点が非常に残念だった。コンビネーションジャンプの前に、「このジャンプで9点もらえる」等と考えてしまった、と言うのは集中力を欠いてしまっていたのか。だから、SPで大おまけの高得点をもらっていたノーミスのヨナがもちろん金メダルだ。それは誰も文句はつけられない。そして歴代最高得点などと言うおまけもついた。そこで尚更凄い選手のように思った人もいると思う。特に普段フィギュアをあまり観ない人にとっては金メダリスト、歴代最高得点(それも彼女が更新し続けている)、その言葉自体に平伏す人もいるようだ。それはそれで当たり前のような気もする。大方の人間はそんなものかもしれない。 決してキム・ヨナが金メダルに値しない、と言っているのではない。さっきも書いたように、今回のオリンピックは彼女が金メダルだった。ただ、フィギュアをずっと観続けている人にとっては、彼女のあまりの高得点に驚いているのである。得点が出すぎ、いくら何でも今回の彼女の演技がその得点に見合っているのか、それが疑問だし、納得行かないのだ。私は見合っていないと思う。 真央ちゃんについて、「ジャンプだけではね」とか、「キム選手に比べて表現力が足りないからね」とか言うテレビのコメンテーター、そして「色気が足りない」と言う人たち、多くのメディア。それを見聞きして、いつも私は「ハアアーー??!!!」と思っていた。はたまた、今回はマスコミがやたらキム・ヨナとの対決を煽ったせいもあるが、ヨナとはレベルが違い過ぎるとか、目指しているものが違う、と仰る方まで。 私は、新採点方式に変わってからちょっとわかりづらくなり、得点については気にはしなかった。計算するのは面倒くさいというのもあったが。しかし、試合中に解説者がジャンプの回転不足、加点、wrong edge等という事を頻繁に言うようになり、又選手達がそれによってとても苦労している事も知り、日本人女子選手たちは厳しくなってきたジャンプのダウングレードやwrong edgeにとても手をやいているように見えた。一体何故なのか、それを考えるとルールを詳しく知りたくなった。又パソコンを使うようになりネットで多くのフィギュアスケートファンの博識ぶりに刺激され、少しづつではあるが勉強してきた。そこへ昨年の四大陸のキム・ヨナのSPの点数だ。そのシーズンもグランプリシリーズで彼女の演技は観てきたが、四大陸で世界最高得点を出したのには驚いた。もちろん良い演技だったのだが、それ程出るのかちょっと不思議。そして決定的に不思議だと思ったのは、昨年の世界選手権のやはりヨナ。シーズン最後ではあるけれど、さして以前と変わった風にも思えなかったし、何しろフリーで3回転ジャンプがミスしてシングルになった、そしてダブルアクセルがやたらと多かった。にも関わらず歴代最高得点を叩き出した。「あれで!?」「どうして!?」。よっぽど他で加点をもらったのだろう。どこで加点??? いろいろ調べていくうちに、いろんな事が分かってきた。ショックな事も、納得出来ることもあったが、大人の事情もわかってきた。私のリンク先「Mizumizuのライフスタイル・ブログ」のmizumizuさんは、実にルールに詳しく、フィギュアスケートに精通していらっしゃる。分析もするどく、外国人選手にも日本人選手にもフラットな目線で分析していらっしゃるので、フィギュアスケートについて私はとても信頼しているブログだ。私がルールについてや、ヨナ選手や他の一部の選手の今回のOPや今までの得点の不思議についていろいろ書くより、この方のブログを読まれると理解できる事が多いと思う。ただし、過去のものから読まないと本当の理解にはならない。先にも書いたように、私が得点について心から興味を持ったのはまだ一年足らずだが、中にはもうずうっと前からルール、採点について詳しく分析していらっしゃるファンの方が実は多いのだ。そして、もう何年も前からヨナ選手への異様なアゲ点を指摘していらっしゃる方も多いのだ。 真央ちゃんをはじめ、日本人選手はここ数年大変苦しんできた事はよくわかる。改善しても、跳んでも跳んでも回転不足をとられ、減点され、それで行き着いた先が今回の選手達のプログラムなのだと思う。毎回試合を観ている側としては、何故いつもあの選手だけが回転不足を取られないのか、一体何故そのような加点が付くのかとても、とても不思議だったし、邪念を抱く事になってしまった。目指していたものは、みんなもちろん今のルールに沿うように良いプログラムを作りたい、完璧に滑りたい、だろうし、オリンピックのある今シーズンは特にその思いも強かったと思う。 真央ちゃんの技術面での課題もたくさんあるようだ。不得意なジャンプもあるし、まだまだいろんな事が見えてくるのだろう。そこを克服しないければならない。彼女も試合後の記者会見で、世界選手権後にそこを練習していく、とはっきり述べている。 私は真央ちゃんの表現力が足りない、とかそれが、芸術性がヨナ選手より劣っている、と言う意見については全く反対だ。私が初めて彼女の演技を観た最初の印象は、ジャンプが凄い、と言う事と共に柔軟性とエレガントさ、そこからもたらされる表現力に感銘したのだった。ただ、当時は完璧に見えても、演技自体は子供っぽかったからこれから伸びしろはまだまだあると思った。あの当時、年齢制限で出られないトリノオリンピックだったが、仮に出られたとして、仮に金メダルと獲っていたとしても、ずうっと心に残る感動の演技をだったかは疑問である。何故かと言うと、あくまで私の印象だが、長野の金メダリストタラ・リピンスキーや、ソルトレークの金メダリストサラ・ヒューズのオリンピックの演技の印象が私には残っていないから。確かに彼女達はとても若いながら、オリンピックの大舞台で大技をこなし、完璧に滑りきった。アッパレだったイメージはある。満場の拍手で栄誉を称えられた。でもその事意外私の記憶には残っていない。彼女達の演技に感動してはいなかったのだ。単に歳を取ったからか・・・?いやそうではない、長野のクワンのSPは大好きで感動だったし、ソルトレークでのヤグディンの演技も本田武史や村主章枝の演技もよく憶えているし、もっと前のオリンピックの選手の演技も憶えているのだから。但し、憶えている選手達の演技と言うのは、どれもどこかに感動があったからだけど。あの当時の浅田真央は、確かにインパクトはすごかったけど、もし金メダルでもリピンスキーやヒューズのような印象になっていたような気がしてならない。もちろん、これは私に関してだが。 ここでこうしてああして、ここで微笑んで、ともちろんその振り付け自体にいろんな要素が含まれるが、音楽に乗せて表現していくのには、その音楽自体を理解し、解釈して初めて心から感情が湧き、それが自然と動きになるものだ。これは、フィギュアに限らず”踊り”と言うものには共通している。当時から決して真央ちゃんの表現力が劣っていたとは思わないが、この4年間で、特にやはりタラソワさんについてからは確実にそれに磨きがかかったと思う。 彼女のシニアになってからの演技はどれも印象深い。ショパンもドビュッシーも、そして「チャルダッシュ」も彼女のイメージに合っていた。彼女はどの曲も柔らかくエレガントに、時にダイナミックに演じていた。中でも私がとても気に入っていたプログラムは2007-2008年のSP「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」だ。これは私が好きな映画 『ラヴェンダーの咲く庭で』の挿入曲なのだが、真央ちゃんの演技よりも前に私はこの映画を観ていたが、これがその映画の中の曲だった事を憶えてはいなかった。しかし、私はこのプログラムがとても好きで、特にステップの途中でパッと一度止まるところがもうツボで、彼女のスケーティングから切なさが伝わって、とても感動的な演技だった。何という曲なのだろう、と調べたらあの映画の、そうか、彼がヴァイオリンで弾いていた曲だったのか、と思い出す。とても切ない映画なのだが、彼女の演技からそれは滲み出ていた。私これは最初ローリー・ニコルの振り付けだとばかり思っていたのだが、タラソワさん振り付けだったのだ。言われてみれば、私が先程書いたステップでのツボの部分などは、ローリー・ニコルのものとは違う。私はニコルの振り付けは好きだし、真央ちゃんに合っていると思っている。タラソワさんは現在の採点方式に対応していないのではないか、とよく言われる。そうかもしれない。でも、タラソワさんにはタラソワさんの良さもあるのだ。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.14 15:53:02
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