カテゴリ:いろんなこと
この本は衝撃的です。 自分自身の場合は自信をもってきっぱり断れます。 しかし、家族は、私が断っても本人が受け入れてしまうことでしょう。 そういう場面が来る前に教育するべきなのですが、 そういう話は、受け入れようとしないグーミン家族です。 >★以前、宗教的主義で輸血を拒否した方のお子さんは >出血多量で亡くなりました。 >野母伊さんはその方のご判断を全面的に支持されますか? この例は、「出血多量で亡くなった」のはその通りですが、 医師が「輸血しないなら手術はやらない」と 無輸血手術を否定したために、出血多量で亡くなった、 ということが真相です。 その模様を発表しているサイトがありました。 転載させてもらいます。 輸血拒否 ・1985年大ちゃん事件 1985年6月6日の午後4時35分、神奈川県川崎市高津区のJR久地(くじ)駅前交差点で交通事故が発生したとの119番通報が入りました。これが後に「大ちゃん事件」としてマスコミにも報道された痛ましい事件の始まりです。まずはこの事件の出来事の経緯を振り返ってみましょう。詳細は大泉実成氏の「説得」(講談社)に記載されています。 午後4時10分頃 4時30分約束の聖書研究を受けるため司会者のアパートに向けて自転車で出発する。父親は危ないのでバスで行くように勧める。 4時35分 府中街道を走りガードレールとダンプカーの間を抜ける際に転倒、両足を轢かれる。すぐに119番通報。 4時38分 通報から3分ほどで救急車が到着。応急処置開始。 4時42分 救急車到着から4分ほどで、止血帯による処置完了。意識ははっきりしており、救急隊員にきちんと受け答えをする。 4時56分 聖マリアンナ医科大学救命救急センターに到着。医師の最初の所見では「両下肢解放性骨折、入院60日」。 以下は大君が自転車で出発した地点と事故が起きた場所を示しています。 続いて病院到着後の流れです。 午後5時頃 推定出血量約500ccと判断し、一刻も早い輸血が必要と判断される。 5時30分頃 輸血および緊急手術を行う前に両親が駆けつける。手術同意書へのサインが求められる。輸血が出来ないと述べる。医師は両親に怪我の状況を見せる。父親と大君はわずかな会話をする。 「大、だいじょうぶか」 「うん」 「お父さんがついてるからな。しっかりしろよ」 「うん、…お父さん、ごめんね」 6時過ぎ センター長が電話で父親の説得を試みる。大君の意識がもうろうとし始める。人口呼吸用チューブが取り付けられる。 7時10分過ぎ 大君の人工呼吸用チューブを外し大君の意思を確認しようとする。意識は戻らず再びチューブ装着。 7時45分 集中治療室(ICU)に移される。 8時頃 大君は自発呼吸を停止。瞳孔も開く。 9時18分 死亡。 この間に医師は責任の所在をはっきりさせるために覚え書きを提出することを求めます。両親から提出されたものは「決意書」となっており、以下の内容になっていました。 決意書(両親により病院に提出されたもの) 「今回、私達の息子(大十歳)がたとえ、死に到ることがあっても輸血なしで万全の治療をしてくださるよう切にお願いします。輸血を受けることは、聖書にのとって受けることはできません 昭和60年6月6日」 以上が事件のおおよその流れになります。 http://www.jwstudy.com/docs/blood_suzuki_dai/ 『血液の闇』でも詳細に言及されています。 ということで大君は手術さえ拒否されてしまったのです。 それこそが死因です。 現在先進国では無輸血手術が行われる傾向になっています。 (ということは日本は先進国ではない) 私もそんなことは知りませんでした。 この本はこのジャンルでは日本で初めて出版されたものです。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】血液の闇 [ 船瀬俊介 ] みなさん、ぜひ読んでください。 ☆お願い☆ 人気ブログランキングへ どちらか↑ ↓1つでもクリックしてくださると、とっても嬉しゅうございます。 にほんブログ村 医療情報 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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