テーマ:癌(3547)
カテゴリ:癌全般
あちゃあ、また歌舞伎俳優が癌の犠牲ですか。 いや、癌の犠牲というより、治療の犠牲、と言った方が正しいね。 歌舞伎俳優の坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう、本名・守田寿=もりた・ひさし)さんが21日午前2時3分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。59歳だった。2013年9月にすい臓がんの摘出手術を受けたが、療養後の昨年4月に舞台復帰。だが、9月に肺への転移が見つかり、12月に控えていた主演舞台の降板を発表。復帰を目指して再度闘病を続けていたが、1月下旬にインフルエンザと肺炎を併発し緊急入院し、今月17日に容体が悪化。そのまま帰らぬ人となった。 確かな芝居と舞踊の名手であると同時に、さわやかな口跡でも人気を集めた三津五郎さん。一日も早い舞台復帰を目指して闘病を続けていた名役者が、あまりにも早くこの世を去った。 関係者によると、昨年9月の定期検査で肺への転移が発覚。治療に専念していたが、1月末にインフルエンザに感染し、肺炎も併発していたために緊急入院。それでも今月6、7日に自宅で行われた「日本舞踊 坂東流」の名取試験には一時外出の許可を取って立ち会い、7日にはテレビ番組の収録でインタビューにも応じていた。 容体が急変したのは17日。その後は小康状態を保っていたが、21日に長男・坂東巳之助(25)ら家族が見守るなか息を引き取った。前日までは意識もはっきりしていたといい、遺体は21日の夜明け前、都内の自宅へ運ばれた。故人の遺志により遺族のみの密葬を執り行い、25日に東京・南青山の青山葬儀所で本葬が執り行われる。喪主は巳之助が務める。 三津五郎さんは、13年9月に約4時間にわたるすい臓がんの手術を受け、すい体尾部(すい臓の中央より十二指腸から離れた部分)と脾(ひ)臓を摘出。同年10月に行われた会見では「今後も勇気をふるって、病に打ち勝つ努力を続けていきたい」と決意を語っていた。 手術後は治療と休養に専念。昨年3月に行われた会見では、酒、たばこを断ち、毎朝ラジオ体操で始まるなど生活の変化や、セブ島でシュノーケリング、沖縄でゴルフなど療養生活の内容を明かし、「“リゾート療法”で体調は大変いい」と回復をアピール。4月の「壽靱猿(ことぶきうつぼざる)」で舞台復帰した。 だが同年9月、12月に上演予定だった主演舞台「芭蕉通夜舟」を、医師から「加療の必要あり」と診断されたため降板。がんの再発や転移ではないと説明し「再び良い舞台をお見せできるよう努力して参りたいと存じます」と語っていたが、このときには再びがんと闘う決意を固めていた。 12年12月に亡くなった中村勘三郎さん(享年57)とは、同学年で幼なじみとしてしのぎを削り、勘三郎さんの企画に名を連ねることも多かった。歌舞伎界の行く末を真剣に考え、さまざまなアイデアを生み出した勘三郎さんとともに「新春浅草歌舞伎」など若手俳優の成長の場を確立。勘三郎さんの死去の際には「自分の人生の半分をもぎられたような気持ち」と語り、葬儀・告別式では弔辞も務めた。 私生活では2度の結婚と離婚を経験。女優の寿ひずる(60)との間に生まれた巳之助は「新春―」に出演するなど次世代を担う存在として台頭してきた矢先だった。 勘三郎さん、13年に亡くなった市川團十郎さん(享年66)に続き、歌舞伎界はまた大きな柱を失ってしまった。 ◆坂東 三津五郎(ばんどう・みつごろう)本名・守田寿(もりた・ひさし)。1956年1月23日、東京都生まれ。9代目坂東三津五郎の長男で、62年に坂東八十助を名乗り初舞台。2001年1月、東京・歌舞伎座の「壽曽我対面」などで10代目三津五郎を襲名した。女優の寿ひずる、元アナウンサーの近藤サトさんと結婚するが離婚。寿との間に1男2女があり、娘の守田菜生は女優、息子は2代目坂東巳之助。池上季実子はいとこに当たる。屋号は大和屋。 http://www.hochi.co.jp/entertainment/20150223-OHT1T50048.html 坂東三津五郎さんのご冥福を命よりお祈りいたします。 人気ブログランキングへ どちらか↑ ↓1つでもクリックしてくださると、とっても嬉しゅうございます。 にほんブログ村 医療情報 Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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