テーマ:乳がんのお話(1134)
カテゴリ:乳癌
「乳癌の犠牲者」というのは正しい表現じゃないと思う。
何故なら乳癌は(ほかの癌もそうだけど)自分が作ったのだからね。 「現代医学の癌治療の犠牲者」と表現すべきだろうね。 西日本新聞社の記事を読んでください。 江戸時代を中心に情緒豊かな歴史時代小説を書いてきた福岡市在住の直木賞作家、杉本章子(すぎもと・あきこ)さんが4日夜、乳がんのため死去した。62歳。福岡県八女市出身。葬儀は近親者で営む。 杉本さんは福岡市の福岡海星女子学院高を卒業後、ノートルダム清心女子大、金城学院大大学院で近世の文学や戯作(げさく)を研究した。1979年、儒学者の寺門静軒を描いた小説「男の軌跡」が第4回歴史文学賞佳作に入ったのを機にデビュー。綿密な史料考証に裏打ちされた物語が評価され、89年には江戸から明治への転換期に生きた浮世絵師、小林清親に光を当てた「東京新大橋雨中図」で第100回直木賞を受けた。九州在住の女性作家では初の受賞だった。 後年は架空の人物を主人公にした世話物を執筆するなど新境地を開いた。2002年、呉服店の総領と周囲の人々を描いた「おすず-信太郎人情始末帖」で中山義秀文学賞を受賞。信太郎シリーズは足かけ10年にわたる人気連載となった。 近年は乳がんを患い、一時執筆を中断したが、13年に再開。今年1月に「起き姫 口入れ屋のおんな」を刊行した。3月発売の文芸誌「オール読物」誌上で、余命宣告を受けたことを公表。ホスピスに入院後も執筆を続け、来年1月に「お狂言師歌吉うきよ暦」シリーズ完結編「カナリア恋唄」の刊行を予定していた。1983年福岡市文学賞。89年同市文化賞。95年に福岡県文化賞を受賞した。 =2015/12/06付 西日本新聞朝刊= 西日本新聞社 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151206-00010003-nishinp-soci >ホスピスに入院後も執筆を続け ひょっとすると杉本さんは癌治療を受けていなかったのかもしれない。 次の記事で分かりました。 【評伝】杉本章子さん、江戸の人情豊かに描く 乳がんで闘病、ホスピスでも執筆 2015年12月06日 03時00分 (前略) がんを患った自分自身の運命も、そんな温かなまなざしで見つめているかのようだった。12年に父親をがんで亡くし、母親も病を患った。さらに自身もがんで余命宣告を受けたが、「共存共倒」と積極的な治療は受けなかった。一時は執筆が滞ったが「やっぱり自分の重しになってくれるのは物を書くこと」と執筆も再開した。 “死ぬ日のためにわれらは生きる”。杉本さんは愛用のiPad(アイパッド)にそんな言葉を刻んでいた。「死に方イコール生き方でしょ。私は鉛筆を握って死にたい」。ホスピスに入院後も最後まで小説を書き続けていた。まさにその言葉どおりに生きたのだと思う。 =2015/12/06付 西日本新聞朝刊= http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/211353 >積極的な治療は受けなかった。 なんとも曖昧な表現ですね。 消極的な治療は受けた、ということなのか? ではどんな治療なのか? 摘出手術は受けたのか? 以下は野母伊の憶測です。 手術は受けたが、その後の抗癌剤治療も放射線照射療法も、 ホルモン療法も受けなかった。 たとえこれが真実だとしても新聞では具体的には書けないのだろう。 「でも川島なお美さんの時は抗癌剤治療を受けなかった ということが報道されましたよ?」 あれには、裏があるのです。 川島なお美さんは民間療法を受けていた。 でも亡くなってしまった。 民間療法を叩くために抗癌剤治療拒否を強調したのです。 そうすることによって、グーミンを、 「やっぱり民間療法じゃダメだよね」 とか 「やっぱり抗癌剤治療を受けないと死んじゃうよね」 というふうに思わせるのが目的なのだ。 杉本章子さんの場合も、曖昧な表現にして、 「やっぱり標準治療を受けないとダメだよね~」 と、誘導しているのだ。 しかしながら、標準治療を受けなかったからこそ、 ホスピスでも最後(最期の間違いじゃないか?)まで小説を 書き続けられたのだ。 【関連ブログ記事】 (川島なお美さんが受けていた民間療法が紹介されています) http://plaza.rakuten.co.jp/nomoishiho/diary/201510280002/ 杉本章子さんのご冥福をお祈り申し上げます。 人気ブログランキングへ どちらか↑ ↓1つでもクリックしてくださると、とっても嬉しゅうございます。 にほんブログ村 医療情報 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年12月06日 19時02分35秒
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