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2015.03.08
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カテゴリ:おいおい老い

 

           誰でもそうだと思うが、日常的に繰り返してやっていることは、目をつむっていてもできるくらいになる

           ものだし、順番があることならいちいちそれを意識しなくても、順番通りにやれるもの。


           私はいつも、湯に浸かる前にシャンプーをする。これが人生最後のロングヘアにするつもりで髪を伸ば

           し始めたので、傷めたくなかった。人生最後と言う意味は、やがて私が介護を必要とする状態になった

           時、介護してくれる人の手間がかからぬように髪を短くするだろうから、髪を伸ばすのはこれを最後に

           しようと思った。カット代も節約できるのに、なぜもっと早く伸ばさなかったかなと思ったものだ。


           髪を傷めない方法として、美容師のえくぼ美人から教えてもらったことがあり、もう十年近く続けてき

           た。彼女はトリートメントの時が効果的だと言っていたけど、私はコンディショナーの時でも毎回それを

           するようになった。


           コンディショナーを髪につけた後、ラップを頭に巻き、その上からお湯で絞ったタオルを巻いてから湯に

           浸かる。それが功を奏したのか、人生で初めてかと思うほど一本の枝毛も作ることなく、傷まずに今日

           に至る。


           ラップを切らしてしまい、その濡れタオルを頭に巻くことを、一週間くらいしなかった。そんな2月22日の

           事、私は再びタオルを巻こうとしていた。


        あれ・・・・・・・・・・・・・・
どうやって巻いたっけ?


           いつもなら手が勝手に動いていたのに、突然手が止まってしまったのだ。思い出そうとしても、まるでそ

           の部分だけをチョキン!と切り取ってしまったかのように記憶が全くの真っ白になり、何度かやり直して

           も手順が思い出せないのだった。


           心臓がドクンと脈打った。何これ…。こんなことは、こんな忘れ方は今までしたことが無い。

           とたんに、とてつもない恐怖が湧いてきた。


           思い出せない衝撃のままとりあえず適当にタオルを巻き、ああ、もしかしたら母もこんなふうに恐怖した

           のかもしれないと、湯船に浸かりなら思った。母が亡くなった時の伊豆での話を書き進めていないの

           で、読んでいる人には意味が解らないかもしれないけれど。


           お風呂をあがっても、そのショックが尾を引いていた。何なのよあれは、いったい何なのよ。まさか若年

           性アルツハイマー…?


           翌日たまたま、若年性アルツハイマーになったという、40代くらいの男性のスレッドを読んだ。その人に

           は妻も子もいて、病気が進行する前に、家族のために出来ることをしておきたいと、頑張っていたけれ

           ど、最後には思わぬ結末が待っていた。また、近しい肉親のアルツハイマーや認知症の発症は、にわ

           かには受け入れがたく本当に大変そうだ。


           私には、親兄弟は義理も含めてもういない。その介護の苦労を味わうことが無かったのは、鬱病を抱

           えた私にとっては幸いだったと言えると思う。けれど、私にはすでに頼れる夫もいないので、自分が病

           気の当事者になった時を思うと、心細いしとても寂しい。あきらめるしかなくても「あなたには私がいた

           のに、私にはあなたはいないんだな…」そんな気持ちはずっとある。


           それで、これは忘れたままにしたらいかんなあと思ったので、もう一度タオルを巻く動作をしてみた。

           すると…できた!普通にできた!ああ良かったと心から胸をなでおろした。しかしごく日常的にしてきた

           動作を突然忘れたと言う事実は、中3の夏にあった出来事の、自己防衛的な乖離性健忘を自覚した時

           には感じなかった恐怖だ。


           今回は忘れたという事実を認知出来ていたわけだが、あれが誰にでもある度忘れの範疇なのかどう

           かはわからない。物の名前が思い出せないことはあるが、動作を忘れるだなんて…。「忘れたことさえ

           覚えていない」という状況になったら、自分では抗うこともできないのだということが、身をもってわ

           かった。今まで自分が老境に足を踏み込んでいる事は理解していたつもりでいたが、それは理解では

           なかった事実を突き付けられた気がした。


           えーっと…昨夜食べたもの、今朝食べたもの…とりあえず今は思い出せる。けれど、「忘れたことも覚

           えていない」状態になったら、他者が病状の進行の度合いを診断するための材料になるだけなんだろ

           うか。自分の記憶に、何か尋常ならざることが起きていることを自覚しながら進行していくのは、想像し

           ただけで恐ろしい。最終段階になった時は胃瘻だけはせずにホスピスへ入れてくれるよう、今から意思

           表示しておいた方がいいのかもしれない。


           このことばかりではないのだが、書けるかどうか別にし て、なんだかまた伊豆での話の続きを書きたく

           なった。何せもう、出来事の順番など具体的なことを忘れている。書きたい気持ちと、書くための気力

           はまた別なことのようで。


           自分の田舎ほどではないが、時々グーグルマップで伊豆へ行ってみる。去年見た時は、ちょうど山桜

           の季節に撮影したようで、あちらこちらに薄桃色の部分が点在していた。けれどストリートビューは夏

           だった。


           そのまた以前の母が存命の頃に見た時は確か、亡夫の実家と母のアパートに面した道路もストリート

           ビューで見られたのに、去年はその道路のビューが無くなっていた。数日前、久しぶりでグーグル

           マップで伊豆へ行ってみた。すると、去年は無かった道路のビューが復活していた。


           2013年、役場へと続くその道路を何度か往復したものだが、その時に道路わきの一画を伊豆中央道

           の工事に使うような事が書かれた看板があり、切られる予定なのであろう木に紐が結び付けられてい

           た。まったく、人間の都合でいとも簡単に自然を壊しやがる…てなことを思いながら通った。その場所

           がストリートビューに映っていた。なんてこった。あんな広範囲を全部埋め立てているなんて。伊豆は山

           しかないので、トンネルを掘った残土を運び入れたんだろう。


           それで、その後に今度はどんな箱ものを建てるのだ?完成の直後は物珍しいから客足もあるだろう

           が、それがそのまま持続できている観光施設なんてあるんだろうか。2013年に本当に久しぶりに歩

           いた、当時の目抜き通りのさびれた風景が目に浮かぶ。7年間と言う短い期間だけれど、埋め立てら

           れてしまった景色に感じる、想い出のある場所が変わってしまう寂しさ。何も変わらないということがあ

           るのなら、それがどれほど奇跡であるかを思い知る。


           そんなこともあったりしたものだから、何だか書きたくなったんだけど、なっただけのことかな。 この出

           来事があって以来、グーグルマップで頻繁に里帰りをするようになった。ああやって画像で見られるこ

           とが良いんだか、そうでないんだか、益々酷くなっていく今の場所の環境に嫌気がさすばかり。


           昨年6月、義理の伯母の葬儀のために、何年振りかもわからないほど久しぶりにふる里の最寄り駅に

           降り立った時、変わらぬ広さのままの空があった。あの時に感じたあの震えるほどの清々しさは、私が

           ボケるまで忘れることはないだろう。


★ JOHN WARREN - I'll Take You In My Arms ★






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最終更新日  2020.10.13 05:01:59
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