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2020.01.31
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           知人のアーキテクトのブログを見ていた。完成したその建物の一部が、以前設計した伊豆の飲食店に

           似ているな~と思ったが、その店の名を思い出せなかった。うわ~、亡夫の父方の叔母宅の前にあっ

           たあの店の名前を忘れてるなんて、ちょっとあり得ないと思った…( ̄◇ ̄;)


           数年前は建てる前の、まだ更地の現場の背景だけの写真一枚で、『あっ!ここ、○○○だ!』と名が

           出てきたのに。『う~ん…嵯峨野…じゃないけど、そんな感じの三文字の名前なのよね…』。思い出せ

           ないままにするのは良くないと聞いたことがあるが、その真否はともかく思い出せないままというのはど

           うにもすっきりしないのよね。え~っと…なんで出てこないかな…。

           Googleマップを見ればすぐに解る事。自力で思い出したいと思いながらも、指はとりあえずのろのろと

           検索へと動かしている間に、何とか検索前に思い出した。ああ、もうすっかり伊豆は第二の故郷になっ

           ているな~なんて、航空写真やらストリートビューやらを懐かしく見ていた。

           その時ふと、亡夫と何度かドライヴで行った伊豆のあの観光名所、今はどんな感じだろうとGoogleマップ

           で検索したら、あれ?変だな、ヒットしない?

           なぜだろうと思いながら、GoogleマップじゃなくてGoogle検索に変えて調べて驚いた。沼津にあったフロー

           ティングホテル・スカンジナビアが、沈没したって?なんで?係留されていたのよ?

           ​Wikiを読んで詳細を知った​​。14年も前、和歌山県沖にですって…(T-T)

           2006年といえばまだテレビがあった頃だけど、ほとんど見なくなっていたな。一号パソコンはまだオンラ

           インじゃなくて、ただのワープロだった年だ。本当の名前がステラ・ポラリス(北極星)号という素敵な名で

           あることも、この29日にWikiで初めて知った。

           第二次世界大戦時、ドイツ軍に接収されUボートの乗組員に荒らされたものの、戦災には巻き込まれず、

           ノルウェーの所有者に返還。なのに最後は、そのドイツの同盟国だった日本の海に係留の末、帰港叶わ

           ず沈没。生まれ故郷に帰ることができずに沈んでしまったなんて、まるで戦火を必死で生き延びたのに、

           母国に帰れなかった人のよう。

           なんだか哀しくて29日一晩ずっと、フローティングホテル・スカンジナビアでの想い出を追いかけていた。

           初めて行ったのは私が伊豆へ行って、まだ一年も経たない頃。それが初めて行った日かどうか、もう記

           憶が曖昧になってしまったが、確かXmasだったので、まだ結婚前の夫にスカンジナビア内の売店で、錨

           の形をしたキーホールダーを買ってプレゼントした。

           真鍮製なのでちょっと重いけど、キーの取り外しが楽で使い易いとのこと。亡くなるまでずっと使ってくれ、

           今私の目の前にある。いつもは私がヤマトに務めていた頃のロゴの入った名札やら、初めて参加した某

           所のXmasパーティーで、偶然私に回ってきたプレゼントのクロネコの小さな指人形やらと一緒に、DEMEL

           のAssorted Cookiesの紙箱にしまってある。

           このキーホールダーが、夫だけでなくステラ・ポラリス号の形見にもなっていたことを、14年間も知らないで

           いたんだ、私…。

           どうにも記憶がはっきりしないので、今ガサゴソと我が家で一番古いアルバムを引っ張り出した。「12・24

           スカンジナビア」と彼の文字。
イヴだったのかぁ。田舎から
友達が遊びに来た時もスカンジナビアへ行って

           いて、お転婆だった私は見つかったら絶対叱られる場所で写真に納まっている。なんたってあのタイタニ

           ックの映画の二人が立っていた場所よりも、舳先にいるのだから。

           最後に行ったのは、夫が闘病している時に親子三人で。甲板に置いてあったロープでできた輪投げで遊ん

           だっけ。あ…
そんな風に思ったことなかったけど、無理くりこじつけてしまうと、”私達のほぼ始まりと終わり

           の時”にここへ行っているのね… (。-_-。)

           その当時PTAの広報で使っていたために、モノクロフィルムが入っていたカメラで撮った写真には、ステラ・

           ポラリス号の船体をバックに記念写真が撮れる場所で撮ったものがあった☆彡 船上で撮ったのは覚えて

           いたけど、これは忘れていた。今となっては、よくぞ船体の写真を残しておいたこと。

           空が青になれば映えるかもしれないと思い、「ColouriseSG」というサイトでカラー化してみたけど青くなら

           なくて、船体が元々白いので意味なかったな。


           最初にWikiにあった写真を見た時に、この人誰?ってくらいものすごい違和感があって、この写真と

           見比べてやっと解った。Wikiにある写真は、船尾を撮ったものだったんだ。気づくの遅いよ、私…(-_-;)

           実は、私にはそれくらい沈没の事実がショックだった。貴婦人のお尻から撮った写真を使うなんて、失

           礼ねと思ったけど、いろいろ調べているうちにわかった。これ、つまりステラ・ポラリス号に思いを寄せ

           ている人にとっては、彼女が去っていく後姿なんだ…。

           コチラ​で美しい船体の全身がみられます。検索で最初にこのサイトに入って、冒頭の文を読んで沈

           没を知って驚き、詳しく調べるためにすぐここを出てWikiに入ったんだった。うわあ、ステラ・ポラリス号

           は全長が「127.0m」ですって。例の不思議の数字だわ…カテゴリを変えてもいいくらい。この記録を、

           良く残してくれていたこと…(@_@;) あ、Wikiにも書いてあったのね。気がつかなかったわ。


           戦争は体験してないし異国でもないし、すらりと見目麗しくもないけれど、生まれた故郷に帰れぬまま、

           老朽化し
て遠く離れた異国の海に沈んだこの船に我が事が重なり、なんだか切なくて仕方がない…。



★ Jarryd James - Do You Remember ★






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最終更新日  2020.02.14 07:10:41
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