最近、お気に入りの↓この久石さんの動画を聴くことがとても増えた。
アンコールの時に、サプライズで花束を持って客席から降りてきた宮崎駿さんに気づき、
会場が「Oh…」とざわめくシーンにまで、毎回鳥肌が立つ。
「アシタカせっ記」の「タタリ神」の、あの和太鼓とチャンチキの響きとリズムは、
こんなにも洋楽好きで、思い入れる程祭り好きでもない私に、何か言いようのない颯爽とした、
日本独特の風土が深く刻み込まれていることを、容易に思い出させる。
TBSの報道特集の旧統一教会に関する内容に戦慄し、8月22日の記事を書く時にも聴いていた。
長年政府に対して「なぜ?どうして?」と思っていたことが、
有田さんやエイトさんの話や番組を見て、するするとほどけるように判り始めた時、
ああ、こんな異様で禍々しいものに、私が生まれ育った日本が乗っ取られようとしているのかと、
地の底まで蹴り落されたような、経験したことのない危機感に襲われた。
だからこの国の何もかもが諸外国から遅れ始めたのかと思ったら、
似非保守の虚勢を張った様子は滑稽だし、ばら撒き以外の知的な外交手腕ではなく、
闇雲に防衛費の増額や武器の装備を言い出すしかない、そんなこの国のへなちょこぶりに、
己で意外に思うほど憐憫を感じていることに気づいた。
カルト集団に共鳴するように、「こんな国」の政権がいま自国民に向けている、
我欲を剥き出しにした人間味のない禍々しさ。
自民党の改憲草案を見ると、まだ改憲もしていないのに、
もう自民党案の憲法に従わせようとしているかのようではないか。
冷静に考えると今政権与党は、自民党改憲案通りに改憲後の政治や社会が、
どのようになるかを改憲前に国民に体現して見せ、国民の反応をみている印象だ。
放っておけばやがてこの禍々しさは、また他国へ向くかもしれない。
77年前に大きな代償を払って、それを終わらせたばかりだというのに。
思えば、他国から武力によって侵略され、文化や言語まで奪われた国々は、
なんという大きな喪失感と屈辱とを味わったのだろう。
「こんな国なんか」と愛想を尽かしたい気持ちと、守りたいと思う気持ちが定まらず、
小さなせめぎ合いを繰り返している私を、怒りが時々突き動かすけれど、
もうあと数十年若くて健康だったらと、また袋小路をうろつくばかりだ。
↓この動画は、宮崎駿さんと久石譲さんの才能と個性が出会って生じた、
とてつもなく良質で芸術的な感動の化学反応が、
この国で起きた奇跡を目の当たりにしているようで、
世界に波及していいのは、人の心を豊かにし、笑顔にすることだけだと実感する。
できれば阻止したいが、あのような憲法に改悪されたこの国からは、どんなものが生じるやら。
私はこの古い価値観のままで、先に逝った人たちの元へ旅立てるだろう。
そう思えば融通の利かない頭も、そう悪くはないと都合よく思っている。
★ Joe Hisaishi in Budokan ★
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