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昨日までの3日、実家で大はしゃぎだったどんぐりん、さすがに寝不足だった
のか、今日は寝てばかりの1日だった。外で遊ばなかったのは久しぶりだ。 静かな家の中で、また父のこと、自分の心の変化について考えていた。 時間というのは、悲しみさえ癒す力があるのだろうか? 1年前の私は、どうしようもない後悔と、憤りを感じていた。 なぜ私の父が死ななくてはならなかったのか? こんなにも必要とされ、家族皆が頼りにしている人だったのに。 何も悪いことをしていない父が、なぜ病気で苦しまなくてはならないのか? 40年以上も働き続け、やっとこれから自由な時間が持てるというときに。 待望の孫が生まれ、可愛い盛りだというのに。 どうして私は父の体調の変化に気づかなかったのだろうか? いつの時点で気づいていれば、父を救うことができたのだろう。 父の人生には、どんな意味があったのか?何を残したのだろうか? もっとしてあげたいことがあった、一緒に行きたかったところ、食べさせて あげたかった物、まだまだあったのに…。 でも今は少し違う。 本人が気づかないものを、私じゃどうしようもなかったのだろう。 ましてや早期に治療していても、その後、節制など父にはできなかっただろう。 お酒とタバコが大好きで、人が集まって賑やかに美味しいものを食べることが 大好きな人だったのだから。それが最後まで通せたのだ。 最後まで働き、必要とされ、力を発揮できる場所があったことも、父にとって 幸せなことだったのだろう。定年後も、請われて働いていたくらいだ。 未だに父のことを忘れずに訪ねてくださる、後輩や同僚がいる。 外でご馳走を食べたり、遠くへ行くより、家に家族や友人が集まるのが何よりも 好きな父だったではないか。 そして最愛の家族に見取られ、自宅で最期のときを過ごすことができたのだ。 少し早過ぎはしたものの、父は幸せな人生を送ったのに違いない。 娘の私がそう信じなくてどうする! デキの悪い娘はともかくとして、父がいたおかげで、まるこ、どんぐりん、新入り の姪っ子、と新しい命が続いていくのだ。 私たちの記憶にも、楽しいステキな思い出がいっぱい残っている。 これを娘たちに伝えていけば良いのだ。 昨日今日と、久しぶりに涙を流したが、もう以前の涙とは違う。 暖かい感謝の気持ちで父を思い出せる私がいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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