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カテゴリ:家族
クアラルンプールに続き、福岡へ出張していたオットが戻り
2週間ぶりに自宅へ帰っってきた。 帰る前に、お世話になった実家の大掃除。 布団や冬服を片付け、掃除機をかけ、最後にクローゼットを開けた。 ここに自分達のものをしまおうと母に相談すると、父の服を片付け スペースを作ろうと言い出した。 亡くなってから2年と3ヶ月、手をつけかねていた父のスーツたち。 着道楽の父は、ブランド物ばかり、色とりどりのオシャレなスーツを 大量に持っていたのだ。スーツが必要な職場でもなかったのにね。 母に言われるがままに、父のスーツを箱に詰めていく。 (勝手に片付けてゴメンネ、Mai) 母も1人では手をつけかねていたのだろう。 捨てるに捨てられず、さりとて譲るにもサイズは人それぞれ。 結局見てみぬふりで、しまい込んでいたのだろう。 呆れるほどたくさんのスーツを手にとるうち、懐かしさがこみ上げてきた。 父のお気に入りのジャケット。 これを着て、一緒に歩いた日が思い出される。 大股で足早に、ポケットに手を入れて歩く父。 いつも手ぶらで、胸のポケットにはタバコを手放せなかった。 クリーニングに出さぬまま、クローゼットに掛けっぱなしの物もあった。 ポケットの中身を確認していく。ポケットティッシュばかりだけど…。 あるジャケットで、箱に詰める手が止まった。 いかにも父らしい、父のお気に入りのブランドの、チェックのジャケット。 最期に着せたジャケットが一番だとすると、これは2番目のお気に入りかな? そのポケットから、1枚の紙が出てきた。 その紙は何かの届出用紙のようだった。 懐かしい父の文字。 最初は何の書類なのか、まったくわからなかった。 住所、父の氏名のほか、一時帰休とか調整とか書いてある。 しかし欄外の『日赤医療センター』という名称で、理解できた。 入院中の父は、放射線治療のない、金曜午後から日曜夜まで、毎週 一時帰宅していたのだ。 そして日付を見て、不覚にも涙が抑えられなくなってしまった。 平成15年11月28日から30日まで。 父が自分の力で自宅に戻った、最後の週末だった。 父が最後に着たジャケット。そして最後に書いたしっかりした文字。 この週末の後、父の様態は急激に悪化し、翌週は帰宅できなかった。 次に父が帰ってきたのは、この10日後。 酸素マスクに担架で、最期を自宅で迎えるための帰宅だった。 結局私は、このジャケットを箱に詰められなかった。 こっそりクローゼットに戻し、思い出ごと閉じ込めてしまった。 自分が、そして母を泣かすのが怖くて、このことは母には言わずに帰ってきてしまった。 母は逞しく、強いヒトだと思っていた。 もうしっかり立ち直り、心の整理がついたのだろうと。 でもきっと、一人きりの広い家で、何度もこんな涙を流したんだろうね。 こういうのは、絶筆って言わないのかな? でも帰りたくて、帰りたくて、それがお父さんの最期の望みだったよね。 その希望がこの用紙、だよね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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