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書きたいことはいっぱいなんだけど、このライチさんの日記を読んで
かなりガツンと、いやドッキッとしたので。 私がライチさんのように明確に感じていたわけではないけど、産後、 なぜか新しいことを次々始めたくなってしまったのは、きっとこのあたりに 理由があったのだろう。 ちなみに私は、出産を期に仕事を辞めたのではなく、結婚以前から 定職についていなかった。結婚当時も勉強中で、『学生』だったのだ。 フリーターとも言う。いや季節労働者?かな。 で勉強して資格は取ったのだけど、そのままズルズル習い事を続ける (あれ?今と変わらない?)そんな生活が6年。 だから私にとって『専業主婦』というのは、隠れ蓑であって、主婦業に 専業なんてしたことはないのだけどね。 だからライチさんの書いていた >家族の中で、育児中の母は育児専業がいい、という共通理解のもとにそれを選択するときは >1.産後のリハビリ >2.その後の母の、個人としての学びと遊び >3.母の個人活動中の子どもの託児確保 >この3つの経費は当然の予算として出せることが前提でないと >ますます社会問題は増えるのではないかしら。 これにはものすご~く納得。 これが確保できなきゃ、妊娠したくない、と思っていたもの、私。 しかし本心で納得して託児できるまでには、時間がかかったけどね。 産後は習い事にかける時間(お金も)、本気度も、かなり変わった。 (有り余る時間を持て余しての習い事とはワケが違うから?) でも私には、どの学びもあまりに楽しいから、学びというより『遊び』 だと思っていたんだよね。だから多少の後ろめたさもあったりして。 娘には『ママは勉強中』と言っておきながらねぇ。 実際娘は『ママはお勉強に行ってるの』と保育園で話しているらしい。 だからコレに、ドキッとしたんだ。 >でも、学んでも遊んでもいない人間が、(それって成長をやめた人間じゃないの?) >これから学んで遊んで成長していく子どもに添うことができるのかな。 そう、その通りだと思う。 しかし私には『学んでも働いても』と聞こえるのですよー。でドキッと。 さらにマコさんのコレを読んで、そうだこれに私はドキッとしたのだ、と。 >子どもの成長を見てると自分も一緒に成長しているかのように錯覚してしまうが、 >また、家事の効率化とか、そういうのは上達するけど、 >人生レベルでは思考停止してしまってることが多い。 >そんな大人をどうやって子どもはリスペクトすればよいのか? 学んでも働いてもいない母って、私…? 確かにこれじゃ、リスペクトされないでしょうね。 ライチさんは >Aneさんが学びと遊びの違いについて考えてるって書いてたけど、 >どっちも大事でどっちも必要なんだよ。 と書いてくれたのだけど、私にとって楽しいことは全て遊び、だから 学びと遊びの違いがわからなかったんだ、と気づいた。 あんまり楽しそうだから、ヒトからは遊びに見えるのか? これはこれで良し、遊びの範疇で学べるって、幸せだなと思うことに。 そして今、遊びの範疇からはみ出す『仕事』をしたいと思う気持ちがある。 お金を稼ぎたい、というより、良いものを広めたい(宗教か?)という 気持ちかな。いや、お金はあった方が、さらに遊びの幅が広がるけど。 うまくいったら、遊びと同じ気持ちで仕事ができないかなぁ、というのが 私の甘~い考え。 しかし娘はこんな私をどう思うのだろうか? 『いつも楽しそうで良いですね』 byオット。娘はこんなに甘くはないか? オットは託児に関してはこんなことを言ってました。 『毎晩楽しそうに保育園での生活を報告してくれています。きっと良い 先生とお友達に恵まれたのでしょう』って、昨日の保育園の懇談会で。 最初に保育園に入れよう、と言ったのはオット。 休日のたび、娘を押し付けられるのが嫌だからかと誤解してましたよ。 初の懇談会は、母として感動しました! 先生の努力、一人一人の子をしっかり見て尊重してくれてること、そして 父親参加率が高かったのだけど、参加してる父がみな素晴らしかった。 あぁ、保育園に入れて良かった、と思えましたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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