196998 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

Spice up your life

Spice up your life

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

Ane@姉

Ane@姉

お気に入りブログ

ふりかえり(10/15-1… MoonLeoさん

ゲーム依存 happy mediumさん

[出店レポ]10/14「… 百瀬はるえさん

nonfiction sisters Mai(妹)さん
小桃堂 亜莉のつれ… 亜莉さん
星のささやき ☆Arlene☆さん
★優秀★健康★心優しい… ゆみこままりんさん

コメント新着

Ane@姉@ Re[1]:講座のご案内(02/11) >いしばしさま お返事が大変遅くなり、…
いしばし@ Re:講座のご案内(02/11) はじめまして。 講座に是非参加したいので…
Ane@姉@ Re[1]:講座のご案内(02/11) >MoonLeoさん ありがとうございます! 無…
MoonLeo@ Re:講座のご案内(02/11) 大阪進出おめでとうございます☆ 前記事の…
MoonLeo@ Re:ナチュクリコラムが掲載されました!(10/24) すごいですねー♪パチパチパチ! Aneさんも…

フリーページ

カレンダー

2006年09月30日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
娘の七五三写真ができあがってきました。
撮影時は、あんなに可愛いと思っていたのに、今見ると…あれ?
原因は色の黒さ。1ヶ月前に撮った時は、真っ黒なのです。
今はかなり白くなってきています。羨ましきかな、若い子のお肌。

引き続き、娘を預け始めた以前のことを思い出しています。
私には産後すぐから半年ほどの間の、大変だった記憶がありません。
いや大変だったのでしょう。しかしそれ以上に大変なことがあり
新生児の扱いや、産後の体の記憶が飛んでしまっているのです。

産後すぐに父の癌が発覚し、娘が5ヶ月のときに亡くなりました。
その時、姪のまるこは10ヶ月。
姉妹揃ってベビーを抱き、母とともに父の入院先へ通っていました。
病院が赤ちゃんには相応しくない場所とは知りつつ、父を喜ばせたい
一心で、妹は毎日のように病院に通っていました。
私はもっと小さなりんりんを抱え、母を支える家事支援担当でした。

1ヶ月半の闘病で、父はあっという間にこの世を去ってしまいました。
その後は姉妹揃って実家に帰り、数ヶ月を実家で過ごしました。
母も私たち姉妹も、小さな子供たち2人に支えられたようなもので
娘たちがいなかったら、立ち直るのにもっと時間がかかったでしょう。
悲しみの意味も解らず、キラキラと成長していく娘たちのおかげで
私たち家族は、明るさを取り戻したのでした。
(実家での生活に、頼れる男手として付き合ってくれたオットのおかげも)

その後4ヶ月めに自宅に帰り、この日記もその頃から始まっています。
それでも実家に母一人にするに忍びなく、行ったり来たりの生活でした。
現こぶたラボに定期的に通い始めたのも、その頃でした。

そろそろ預けたいと思い始めた頃(思い始めたのも遅かったと思います。
娘の存在で、家族を亡くした寂しさを紛らわせていたのでしょうね)
一番引っかかったのは、このどっちつかずの放浪生活でした。
一足先にまるこが保育園に入り、妹は週末しか実家に帰れない。
だからなるべく、平日は私が実家にいるようにしていました。
なのに私まで娘を預けだしたら、母が一人になってしまう。
そもそも、保育園は自宅、実家、どちら側で探そうか?

両方で探してみましたが、結局自宅近くに決めました。
今でも放浪生活は続き、週末はほとんど実家で過ごしています。
(今夜も実家です)

思うようにはいかなかった(というか、思いもよらなかった)産後
ですが、時間がかかったことは良かったと思っています。
私にとってよりも、子供にとって。
私にとっては遅いと思った時間の経過も、実は娘の選択だったの
かもしれません。
娘は驚くほど健康で、素直に自分の気持ちを話せる子に育っています。
母として(適性低めの私でも)安心して見守ることができます。

去年は一時保育だったため、練習したけど参加できなかった運動会。
今年は可愛いダンスを見に行く楽しみが出来ました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年09月30日 23時44分12秒
コメント(6) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X