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2005.10.10
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僕が何かを喋る度に、

「オーウ、こいつ英語喋られないのかよ。ヤレヤレだぜ」的な空気を

毎度毎度さらけ出される拷問を受けに、米国に滞在してました。

米国。米も食えんのに何が米国か。

おかげで「銀シャリが最高のご馳走」という戦後を髣髴させる生活を満喫してます。

人は遠きに在りて思うもの。

普段、近くにありすぎて当然のように思っていても、

遠くに行ってしまうと、改めてその大切さに気付く。

大切な人も、そう。

いつも一緒に居て、空気みたいに思っていて、その扱いがぞんざいになってることは無いだろうか。

遠くの地に離れてみて、初めてその存在を改めて強く感じることは、

誰にでもあることなのです。

離れてみないと、或いは失わないと気付かないのは、一種、愚かさを感じます。

しかし、実際に常に側に在ってその都度大切さを感じるようになるのは

非常に難しいもの。

例えば、郷里を離れて気付く両親のありがたさ、

別れた後に気付く、恋人の存在の大きさ、

それらはよく聞く話のひとつでもあります。

常に顔を合わせている両親は疎ましく思えるものだし、

付き合いが長い恋人は慣れてしまって嫌な所ばかりが目に付くようになってしまう。

その人の大切さは、その裏に隠れてしまって。見えなくなってしまう。

失ってからでは遅いですが、時には離れてみることは必要なことかも知れません。

そうして気付くことが出来れば、一層、幸せな関係が築けるんだと思います。















そう思って距離を置いた女性は、大体連絡がつかなくなるものです。





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Last updated  2005.10.11 05:32:21


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