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カテゴリ:本(楽天ブックス)
大相撲の歴史 94年間の歴代幕内力士735人のプロフィルを完全収録
大相撲(おおずもう) 職業的な最高位の力士たちによって商業的に行われる相撲興行及びその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。現在では日本相撲協会が主催するプロの相撲興行をいう(本項で詳述)。 がっぷりと四つに組んだ力士同士の力が拮抗して、なかなか決着がつかない相撲の取組のこと。NHKの相撲実況中継では、(特に上位同士の)取組がおよそ1分を超えると「大相撲になりました」というアナウンスが入る。なお、およそ4分を超えると「水入り」になる場合がある。 幕内(まくうち)は、大相撲の番付における階級のうち最も高い階級。横綱、大関、関脇、小結、前頭で構成される。2004年1月場所以降、定員は42人以内と定められている。 この地位で優勝した者は、幕内最高優勝として千秋楽の全取組終了後に行われる表彰式において天皇賜杯と優勝旗が授与される。さらに優勝額が贈呈され、次の東京場所初日にて、国技館に掲揚される。また、横綱・大関以外の成績優秀者には三賞が贈られる。 <歴史 歴史的に見て、力士はながく薄給で酷使されてきた。江戸時代には本場所の興行収入は一部の年寄たち(相撲会所、現在なら相撲協会に相当)によって山分けされ、看板となるような人気力士、花形力士は別として、大半の力士への給与はなけなしのものだった。 三役力士ともなれば、大名家からお抱えとされ、藩士としての報償を受け取り、また贔屓客からの祝儀もあった。こうした力士は地方巡業へでかければ、各地の興行主(勧進元)から引く手あまたであって、むしろ懐は他の武士階級より潤っていたが、そうでない大半の力士は、細々と自主興行による「手相撲」で地方巡業を行い食いつないでいた。もちろん、いわゆる「力人信仰」から来る善意の喜捨も多く、本当に食うにこまるまで困窮する力士も少なかったが、本場所で「星を売る」、いわゆる八百長行為も横行していたと見られている。 明治に入って以降も、大名家が藩閥政治の有力者となった以外、こうした状況は変わらなかった。そのため力士による待遇改善要求は度々おこり、昭和における春秋園事件はその最後にして最大のものだった。相撲取りが相撲を取ることによって生計が立つようになったのは、昭和に入ってからと言って良い。 昭和33年、こうした相撲界の体質が国会でも問題視されて以降、月給制など、力士の待遇改善の試みが進んだ。それでも、年6場所と相撲協会主導の地方巡業によって、1年のほとんどを拘束される力士たちに対して、「時給で見れば世界でもっとも可哀想なプロスポーツ選手」などの声もある。一方で、税金対策や引退時の退職金制度など、表面にあらわれにくい部分で、他のプロスポーツよりむしろ充実しているという見方もある。たとえば、国技館内には力士のみならず一般の診察も受け付ける相撲診療所があったり、社会保険組合を独自に運営している点(プロ野球選手は国民健康保険)、また厚生年金制度を導入していること(プロ野球選手は基本的に国民年金)など、外からは見えにくい部分での福利厚生が充実しているとも言える。 金銭の面に関しては、角界というのは、とにかく後援者(タニマチ)からの祝儀が大きな収入源のひとつになっている。各力士によってタニマチの大小はあるが、横綱・大関などでかなり有力な人物がタニマチとしてバックにつけば、優勝すれば1000万以上は祝儀が集められるという。とくに千代の富士全盛時では一晩で5000万は集まったという。横綱の月給が282万であり他のプロスポーツのトップクラスに比べてそうとうに安いのだが、これは角界ではこういった後援者からの祝儀が表面の給与に比べて大きな比重を占めているという現実がある。とくに年寄株の取得資金、部屋経営の資金、有力学生相撲選手の獲得資金など、角界はタニマチなしでは成り立たない構造となっている。 楽天市場の全ジャンルからショッピングしたい人はここからどうぞ! ダウンロード商品もあるよ! ないものはない!お買い物なら楽天市場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月23日 20時20分27秒
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