中川多理さんの個展
個展会場はJR山科駅から徒歩20分の猪が出るような場所にある。緩やかな上り坂が続く住宅街を抜け、橋を渡り山へ入っていく。すれ違う人のほどんどいない木々の生い茂る川沿いの道をひたすら進む。猪が出たらどうしようと不安になったころ個展会場の春秋山荘があった。バス等の交通手段の無いこんな場所で何故という疑問は会場に一歩入ると払拭された。丁度良い広さで丁度良い古民家の味わいで、これ以上相応しい場は無いのではと思えるほど何の違和感も無く人形たちが佇んでいたのだ。最初に出迎えてくれたのはカフカの「田舎医者の少年」だが、この少年はローザの面影をも宿す両性具有。少年の横には大きな人形の顔だけがあり、棚には朽ちた小さな人形。隣の部屋には朽ちた大きな人形と大正時代の着物を着た黒髪の人形たち。裸のままのものやアンティークレースや色あせた赤やベージュの布で襟飾りやコルセットをしているものもあった。天使は無邪気で愛らしい健康的な子供ではなく、イコンのような雰囲気を漂わせていた。今回この場所を個展会場に選んだのもそうだが、作風も中川多理さんというのは躊躇いのない作家だと感じた。死後の朽ちていく体を人形にするのだから。死も自然の営みと捉えればタブー視する必要はないのかもしれない。でも、自然の営みとは言えない死があまりにも多い現実があるから、私は目を逸らしたいと思ってしまうけど。ただ、この場所で個展をするのが私には勇気がいるのは、私の人形に会いにはるばるここまで来てもらう自信が無いからで、何を創りどう見せたいかを第一に考えるべきだから、それは本末転倒。お客様に対しても交通の便が良いということよりも、素晴らしい作品を素晴らしい空間で見てもらう方が親切だ。実際、今までこんなに心地よく作品と向き合えた展示会は経験したことが無い。丁度ほかのお客様と入れ違いになったこともあり、近くに人の気配を感じることなく人形たちと過ごせた。美術館に行ってもそうだが、欲しいと思える作品があるとその展示会の満足度は高い。今回の個展は、私が人形作家でなかったら連れて帰りたい子が、居た。だけど、その子は遠くを見て私じゃない誰かを待っているかのようだった。