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カテゴリ:人生悟る?
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16時に展示品の撤去許可令が出てみんなで撤去作業に。撤去する目的の人だけ入ってくださいとか、高い所に登るなとか、速やかに行えとか、一時間前までは慌てず非難しろと言ってたのに全てが矛盾してて、明らかに翌日の別の展示会の関係で撤去しないと困るからという理由の無茶ぶりは見え見えで、みんなピリピリして撤去作業を 18時過ぎに終わり、比較的暖かいビッグサイト内のアトリウムに移動。そこではJRは終日運休という情報が入ったのでみんな帰るのは諦めてアトリウム隣の会議室に移動し、座り込み始めました。そして、営業の人がコンビニでお弁当等を買ってきてくれました。そのお弁当をみんなで分けあって食べたり、テンションの高い他の課の課長さんが鞄からうまい棒を出して何等分かして振舞ってくれたりして、その優しさがうれしかったです。 実は同じ職場の人間は当日は誰もいなかったので、かなり心細かったですが、おかげさまで仲良くなれて良かったです。同じ会社だから助け合うのが当たり前だと、その場のみんなは言っていましたが私はそうは思いません。困っている人を助ける気持ちというのは、やっぱ個人の人柄なんだと思います。 19時くらいになり、再度父の職場に連絡したら今度は電話に出てくれる人はいて 『事務長ならバスと歩きで自力で帰るとおっしゃり、30分前に帰宅されました』 とのこと。これで父が無事であることを確認できました。そして、非通知着信があり電話に出たら母でした。永田町駅で電車が止まり駅の公衆電話からかけているとのこと。母は、近所の私の幼友達の家に電話をして祖母の安否を確認してもらったところ無事だという情報が得られました。祖母と母の安否はうれしかったですが、それと同じように近所の繋がりって大事なんだなとしみじみ思いました。 時間が22時を回り、同じ会社人達はほとんど寝てしまいました。そんな時に隣にいた方と雑談していたら意気投合してしまい、最後には名刺交換をして、ジュースもご馳走になりました。 そんな私たちの周りには色んな人がいました。酒をあけてお花見騒ぎをしているKY軍団や、パソコンを3台くらい立ち上げてアンテナらしきものを立てて、最新情報を掴もうと奮闘している人達。もはや秘密基地化していますw また、東京ビックサイトは利用者だけでなく、非難場所として提供しているため女性難民も多く、男性のように床に寝そべることができない女性もいて、KY軍団は別として震災難民のほんのわずかな感覚ですが経験できたと思います。 会議室に寝転がってコートを掛け布団代わりにしてたのですが、中々寝付けず。外と比べていくらか暖かいのですが、それでも肌寒く少し喉がいたくなってきました。そんな時に弟からメールが。 内容は今無事に家に着きました。4人とも家にいるとのこと。あれから父も母も弟も無事に家につけたことを知り安心して眠れました。 12日の土曜日5時半に起床したら少ずつ人が減ってました。ゆりかもめと埼京線の運行予定が7時からという情報だったんですが、みんな歩いて地下鉄が通っている駅に行き帰宅しているとのことでした。私が住んでいる埼玉県行田市はJR高崎線に乗らないと帰れないのですが、高崎線は運転見込みが不明だったので一度実家に帰ることに。 会社の人と隣にいた人に挨拶をして一人で埼京線で新木場に行き、新木場から東京メトロの電車で実家の最寄り駅に行き、バスで実家に帰宅しました。到着は9時でした。 みんなは無事でしたが、棚のものがみんな倒れてきていて、ギリギリ寝床だけあるような状態でしたが、電化製品は無事で一安心でした。 次の日、行田に帰りましたが、部屋は多少ものが落ちているくらいで大したことはありませんでした。ただ、社員寮に壁にクラックが。間違いなく震度7では崩れますね。 本当はもっと細かく心情を交えて書きたかったのですが、ちょっと疲れてしまったので、これくらいでお願いします。 誤字脱字があると思いますが、あしからず。そして、人間はみんなの協力がなければ生きていけないということが身にしみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.03.15 20:44:55
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