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第二次エジプト滞在紀

第二次エジプト滞在紀

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2005年01月09日
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最近寝るだけ寝て自然に目を覚ますという生活をしていたので、久々の目覚ましが相当に苦痛だった。自分のビザの延長手続きもする予定だったので、8時に起きようと思っていたが、ようやく体を起こしたのはオスマーンさんとの約束の一
時間前だった。

遅刻する事を心に決めて、いざ出発。メトロでタハリールまで行くのは久しぶりだった。日本大使館まではモガンマア口を出て5分とかからない。いそいそとカイロセンタービル3階の領事部に入った。私の前に出生届を出している男の人がいた。国際結婚らしい。名前はどうするのかな。

領事部の人に何と説明するものやらと少し心配していたが、日本人が代わりに書類を取りに来るのはよくあることなのか、実にスムーズだった。
昨日日本から文化省派遣の芸術団が行く旨FAXが届いていたらしく、私が文化省の…というとすぐにわかってくれた。
私は日本人なので日本ビザを取ることはないし、他の国にしても旅行かせいぜい学生ビザなのでどんな種類があるのか全く知らなかった。

昨日マハムードさんが「文化ビザ」みたいなことを言っていたのでその旨尋ねると、文化交流の際は「エンターテイナービザ(!)」と「文化交流ビザ」というようなものがあるという。それ以外にも種類はあるが、ビザは一律167ポンドとのこと。

因みに写真は2枚必要で、バックはなるべく無地の明るい色という但し書きがあった。この点については不安であった。というのも、エジプト人はみんな家族や恋人の写真(証明写真サイズ)を財布に入れて持ち歩いているが、バックが無地のものなど今まで見たことがない。まだ写真を撮っていないことを祈りながら説明を聞いていた。

人数分プラス2枚程度失敗用に頼まれていたので、10枚お願いした。ビザのアプリケーションは二枚一組で、間にカーボン紙を入れて書かなくてはならない。古くてごめんなさいね~と美人の領事部の人が申し訳無さそう。でも文化省で使っているのを何度か見ていたので、特に問題はない。

ついでに私の住所が確定したので、在留届を再度書き換えた。去年のとあわせると一体何度変更するのだろうと我ながら思う。もう住所の訂正をする場所がないのである。裏の備考のような欄に仕方なく書いた。

1時の約束で、オスマーンさんのオフィスに着いたのは1時半。途中ドルを銀行で両替したが、それでも30分の遅れなら上出来だ。ところでドルが安くなっていた。さっさと両替しておくのだったと後悔。

遅れての到着だったが、マハムードさんはまだ来ていなかった。オスマーンさんは文化省文化宮殿部(General Organization of Culture Palaces)の音楽祭関係の事務所の長である。この事務所はエジプト各地の文化省所属の舞踊団のマネージメントをしており、タンヌーラもここに所属している。というわけで、マハムードさんの上司に当たる。エジプト国内のフェスティバルに限らず、世界中からの招聘を受ける窓口がオスマーンさんである。

オスマーンさんは文化活動に関わっているからか、本当に上品で温和で公正な人だ。上司が優れているのでこの事務所は本当に雰囲気が良い。一人キリスト教徒の美しいマダムが働いているが、キリスト教のお祭りの際に作るお菓子を皆で嬉しそうに分け合っていたのが印象的であった。
オスマーンさんは文化省の代表として1月31日から日本に行く事になっている。中古のノートパソコンがいくらとか、事務所の皆や家族へのお土産をどうしようかと嬉しそうに悩んでいた。例えば…といって私の靴がいくらかと聞いてきた。出国の直前に慌てて購入したコンバースのセール品で確か3980円くらいだったと思う。大体200ポンドくらいですというと、ふうっとため息。日本のセール品でもエジプト人には高いのである。確かにエジプトに住んでいると、200ポンドをぽいっと出すのはかなりの勇気がいる。生活すると日本円で換算などせず、どうしても現地の物価感覚になる。なんだか申し訳ないような気がしてきたので、なんでも売っている100円ショップのことを教えておいた。ほとんど中国製ということは控えておいた。エジプト人が自国の製品を棚上げして中国製品の粗悪さがよく話題にしているを知っているからだ。

アプリケーションの内容をナビールさんがアラビア語に通訳している間、お茶を飲んだり雑談をしたり、日本のことを話したりのんびりした時間をすごした。日本だったら外国人でしかも学生風情を省庁に呼んでお茶飲ませたりしないだろうなーと思う。こういうのんきな人間臭いところが大好きだ。

そのうちシャルキーヤという舞踊団のボスのマハムード(リファット)さんがやってきた。タンヌーラのマハムードさんと違って、すらっと背が高く、憂いを帯びた青い目をもつギリシア人みたいなナイスミドルである。ちょっと冷たい感じだが、私が戻ってきた旨オスマーンさんが伝えると、にこにこ嬉しそうに笑いかけてくれた。でもこの人、見るたびに痩せていくので本当に心配である。そのちょくごタンヌーラのマハムードさんがいつものハイテンションで入ってきた。

マハムード(リファット)さん自身は日本にはいかないが、シャルキーヤのメンバーが5人いくことになっているので、それぞれのパスポートを持ってきた。アプリケーションは全部英語だが、みんな英語のアルファベットを書き慣れていないということで、私が全員分書くことになってしまった。本人の住所、所属先(文化省)の住所、滞在先の住所、また滞在目的など書くところが果てしなくあって、かなり時間がかかった。

私がせっせと記入している間に、事務所のムードメーカーのムハンマド・ヌールがコシャリの配達を頼んでくれた。我が家の周辺はあんまり庶民的な場所でないので、今のところコシャリ屋は見かけていない。もう二週間以上食べてなかったので、注文の声がしたときはおもわずにんまり。
5人分くらい書いたところでコシャリ到着。ロッズビラバン(ご飯を甘いミルクでとじたプリンみたいなデザート)もついていた。代金はシャルキーヤのマハムードさんがすっと支払った。やっぱりかっこいい。
朝から何も食べていなかったので、みんなと同じ量のコシャリをあっという間に平らげてしまった。昔は一番小さいサイズでも食べ切れなかったのに、これはまずい。。

お腹が一杯になったところで仕事再開。ロッズビラバンとお茶をすすりながら書いていたらすぐに終わった。明日11時にシャルキーヤのマハムードさんと領事部で待ち合わせの約束をして終了。ところで領事が今日いないということで明日必要な書類は何かなど問い合わせることになっていたのだが、そのことを伝えてもいまいち伝わらなかった。このまま明日領事部に言っても大丈夫なのだろうか。

1月31日から2月7日までの予定で、文化省ご一行は京都のエジプト博物館オープニングに参加する。メンバーはシャルキーヤからダンサー男2名女1名、ミズマール・タブラ1名ずつ、タンヌーラからタンヌーラダンサー1名。たった6人しか行けないという。もっと色んな楽器やダンスを披露したいところだが、予算の関係だろうか、日本はけち。フランスなんか20日間でかなりの人数を招聘していたのに。文化交流の重要性をもっと認識してもらいたいものである。

さて明日は11時。午前中の約束なんか到底無理なはずなのに、いつにすると言われておもわず11時がいいですなんていってしまった。自分自身遅刻性なのを認識していながらばかである。





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最終更新日  2005年01月10日 10時14分16秒
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