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文化ビザの取得の為に朝から日本大使館領事部に行ってきた。シャルキーヤのマハムードさんは30分ほど遅れての到着。申し訳無さそうにしていたが、人を待たせることはあっても人を待つ経験があまりないので全く問題ない。持ち出し禁止の朝日新聞国際衛生版をノンビリ読んですごした。
領事部には感じの良いエジプト人女性が二人いて、ビザの申請手続きを受け付けている。普段はどの程度なのかわからないが、なかなかたくさんのエジプト人が手続きに来ていた。 懸案の証明写真はあれだけ言ったのにやはり背景が豪華で、とてもビザに使えそうになかった。その上、パスポートのサインとおなじサインをする場所があるが、そこも全員分全くの空欄…。 窓口のエジプト人マダムもあちゃーといった様子だったが、とても丁寧にマハムードさんに説明をしてあげていた。 ところがマハムードさん、いきなり他人のサイン部分に勝手にサインしだしたのだ。だめだめ!と言ってああそうかとうなずくも、目を離すとまた書いている。とりあえず出してくださいといわれ、必要書類を全て出し、まつこと30分。 サインもないし、まだこの件は始まったばかりという事だったので、また来なくてはいけないんだと思っていたが、窓口に呼ばれて行ってみると、3人分の写真を除いてはオッケーだという。サインに関しても出発の前に本人がサインすればよいとのこと。 さて今日もタンヌーラだが、私が文化省に来ていると聞いて、マハムードさんの姪のナグラーが一緒に行くということになった。ナグラーはマハムードさんの奥さんの妹の子で18歳。道を歩いていてもなかなか見かけないような美人さんである。彼女は文化省文化宮殿部のビルのコピーや雑貨を扱う場所で働いている。美人で庶民的でいつもにこにこしているから、看板娘みたいな存在だと思う。 信仰心の厚いイスラム教徒は預言者ムハンマドに倣って、ラマダーン月の一ヶ月に加えて、毎週月曜と木曜に断食をするらしい。ナグラーも信仰熱心な子なので、今日は断食をしていた。そこでタンヌーラに向かう前にお祈りと断食明けの食事を彼女の家ですることになった。文化省のあるサアドザグルールのとなりのサイイダゼイナブという非常に庶民的な地域に彼女の家はある。昨日の昼過ぎに降った激しい雨のせいで道はどろどろだった。 家につくと家族全員が出てきてナグラーの買ったチキンを食べた。庶民そのものの元気なお母さんが色々ともてなしてくれ、時間はあっという間に過ぎた。 時間がちょっと遅れてしまったのでタクシーでアラアに向かった。今日は月曜日ということで遅れて行った割にはそれほど混雑もなく良い席に座れた。席に着く途中、小さなタンヌーラダンサーのムハンマド(7歳)が来ていた。私に気づくと立ち上がって喜んでくれた。 タンヌーラの帰り道、ナグラーが「ねえ、あそこにいるムハンマド・レダってわかる?」と聞いてきた。ムハンマドとはドゥッフ(タンバリン)のソロをやったり踊ったりと大活躍の若手で確かまだ24,5歳だった。 「知ってるけどなんで?」と聞くと、 「彼私の婚約者だったの。。。」 びっくりした。ムハンマドに婚約者がいたことは本人から聞いていて、ことあるごとに「婚約者が…」とか「婚約者の為に…」とか嬉しそうに話していた。去年アスワンでの公演の時も、これ婚約者に買おうと思うんだけどどうかなーと手にたくさんお土産を持っていた。また、婚約者に見せたいからといって私の写真をほしがったりしていた。そのときはどんな人か全然知らなかったからふ~んくらいに聞いていたが、まさかナグラーだったとは。。 確かに去年の3月頃からぱったりと婚約者の話をしなくなっていたし、シャルキーヤの女の子がアプローチしても拒否していなかった。ナグラーの話では、お互いは大好きだけどナグラーのお父さんが許さなかったらしい。ムハンマドの家族がどうも良くないというのだ。ムハンマドは本当に気のいい奴でしかも真面目。お父さんもその点は認めているらしいが、他がだめなのだとか。「ムハンマドと結婚するのはお前の自由だが、あっちの家族と何かトラブルがあっても絶対に助けない。結婚したらお前はもう俺の娘じゃない!」と言われたそうだ。 ムハンマドはたいそうがっかりして怒っているらしい。ムハンマドならナグラーを幸せにしてあげられそうなのに…私もがっかりである。でもエジプトは親戚付き合いがかなり密だから、どんなに結婚相手が良くても相手の家族で大変な苦労をすることは目に見えているのだろう。 もっと話をしたかったが、わたしはタンヌーラの後にメンバーの結婚式にいくことになっていたのでナグラーとは話の途中で別れた。結婚式に行くメンバーの中にムハンマドもいた。総勢9人でマイクロバスに乗ったのだが、バスの出発の時丁度ナグラーやマハムードさんが来た。ナグラーがバスの中のみんなににこにこと挨拶をしている間、私の隣に座っていたムハンマドは一人、窓の外を見つめていた。ふとみると、事情を知っているのだろう、サーベルさんが苦笑いしてムハンマドを見ていた。 二人の気持ちを考えると、他人事ながらとっても切ない気持ちになってしまった。 結婚式は夜12時からということだったが、わたしたちが着いたのは11時頃。結婚式と言っても金持ちを除いては庶民はだいたい「道」でパーティを開く。会場は本当に普通の家が並ぶ道だが、大きな天幕と派手な電飾、大音量の音楽で盛り上がっていた。近所のカフェの椅子とテーブルが並べてあり、私達は適当に席に着いた。花婿ムスタファの友人達がせっせとフルーツを置いたりしてくれたが、飲み物はカフェから買わなくてはならなかった。 それにしても中心で生演奏をしたり、ビデオ撮影をしているだけで、全然楽しくない。中心から遠いところに座っていたので、花嫁が踊ったりしているのも見えない。ただ、この結婚式に懐かしい友達がきていたりしてので、無駄な時間とはならなかった。しかし一向に式は始まらないし、ものすごく冷えてきた。 キャミソールに七部袖、セーターにウールのコートを着ていたがものすごく寒かった。 更に眠気がピークに達していた。めずらしく今日は時間に間に合ってしまったから。 私が「帰りたい」と言うと、誰かが一緒についてこなくてはならないので遠慮してなかなか言い出せなかったが、おもわず「寝たい」と言ってしまった。 すると皆も飽きていたのか、ムスタファに挨拶だけして帰ることにした。帰る時、会場近くに家がある音響担当のレダがみんなを自宅に招いてくれた。みんな本当は帰りたいのだが、せっかくだからということでお茶だけいただきにあがった。 ところが待っていたのは食事だった。とてもおいしかったが、すっかり遅くなってしまった。ちなみに食事を待っている間テレビをつけたら、なんとチェ・ジウがでていたのだ!!みんな日本人だと勘違いしておお~と盛り上がっていた。そのうちぺもでてきたので、もしかしたら冬のソナタだったのかもしれない。日本で放送されていたのは私がエジプトにいた時だったので見たことがない。 奥さんと子どもたちに挨拶をして、みんなでお暇することになった。ギザまではみんなで帰って、その先はヘルワーン行きのマイクロバス。ムハンマド・レダは私より先のマアーディ、多分タンヌーラのメンバーで最年長のアハマドおじさんはヘルワーンということで、おなじバスに乗った。 ひとりで帰れると言ったのだが、家の近くまでムハンマドが来てくれた。こんな距離一人で帰ろうと思ってたの!?と言われた。ここはエジプトなんだから、絶対ダメだと諭されてしまった。 私が思っているほど、エジプト人は安全だと思っていないようだ。いい勉強になった。 ここでもう大丈夫と、アパートの一本前の道で見送ろうとしたが、「いいからもうアパート入りな。ここら辺はよく知ってるから」と逆に見送られた。別れたあとこっそり見てみたら、近くの警官に道を聞いていた。 ところでやはりナグラーのことは切り出せなかった。今日は時々テンションが下がったりしていたので、やはりかなりナグラーに会ってしまったのはダメージだったららしい。 こんなにいい奴なんだから、私はナグラーと結婚してほしいと心から思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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