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マハムードさんに紹介してもらった、民俗音楽研究家のムハンマド・オムラーン教授にお会いしてきた。
実は2ヶ月ほど前にその奥様と文化省のマハムードさんがいるオフィスで会ったことがあり、その時に連絡先を教えてもらっていた。 しかしなんとなく遠慮しているうちに日本から友人が来たりしてとうとう今日まで会えずにいた。 木曜に再度連絡先を教えてもらい、意を決して電話。大変多忙な方なのに、じゃあ 今度の日曜日、3時に会いましょうと言ってくださった。 場所はエジプト芸術アカデミーという専門学校のようなところで、オムラーン教授はそこで研究及び講義をしているという。 3時から講義があるので、そこに来て終わったあと話をしましょうということだった。 苦労の末ようやく門にたどり着くと、既に警備員に伝わっていたようで、身分を証明するものがパスポートのコピーだけだったにも関わらず、スムーズに入ることができた。 中に入ると学生(といっても30歳以上)に呼び止められ、教授のところに案内された。 背が高く痩せていて、とても上品な紳士という感じであった。 なんでもエレベーターが壊れているらしく、足の悪い教授が6階まで上がるのはきついということで、今日の講義は敷地内の庭にあるベンチで行われた。 学生は全部で9人いて、エジプトらしいというか何と言うか、10分おきくらいでばらばらとやってきた。 20代の学生はたった一人で、あとは30代、40代の人であった。どういうわけでこの講義に参加してるのかわからないが、個性的な人ばかりでもっと色々話をしたかった。 講義というよりはゼミのような感じで、教授が喋っている事に関して疑問があれば随時検討していた。 ちなみに基本的にはアンミーヤ(エジプト方言)だが、フスハー(正則アラビア語)もかなり交えているので格調高いしわかりやすかった。 といっても完全に理解できる箇所などは3割ほどだが…。 この講義で印象的だったのは、「変化」という意味を表す二つの単語に関してかなり時間をかけてその違いを検討していたことだ。 一つはガラっと変わってしまうこと、もう一方は変化の「過程」が含まれているということらしかったが、ここまで詳細に単語を扱うということに驚いた。こうなるともう外人はお手上げである。 講義の後、敷地内のレストランでお昼を食べながら私が用意した質問について話した。 私の現在のところの卒論テーマは日本では資料が手に入らず、 これに関して私は殆ど無知そのものである。かたやその分野の権威。 質問するのも申し訳ないほどであるが、一つ一つ丁寧に答えてくださった。 また読むべき本を教えてもらったので、かなりの収穫であった。 ただし、専門書をアラビア語で読まなければならないので、集めたはいいが諦めるということにならないよう気をつけなければならない。 レストランで終わりかと思いきや、なんともうひとりの専門家のところに連れて行ってくださった。 私の研究に必要な映像や音楽をたくさん持っており、またザールという呪術的なグループのショーを開催することもあるそうなので、今後こまめに連絡を取り合うことになった。 そこで聞かせてもらったスーフィの歌、どこかで聞いたことのある歌詞だと思ったら、なんとつい数日前にタンヌーラの歌手のサイードおじさんに教えてもらった歌詞であった。 歌詞を書いた紙を持っていたので、教授に見せたらどこから手に入れたの!?と驚いていた。 しかもよくよく聴いてみるとまさにサイードおじさんが歌っているではないか。 かわいいおじさん(禿げたトトロみたい)だと思っていたが、この世界ではかなり有名だったらしい。テープも売っているそうだ。 ただし教授はなかなか鋭く、2曲聴いたうち1曲目はスーフィだが、次はスーフィではない、勝手に変えてしまっている、アレキサンドリアの色があると言っていた。 二曲目を聴いた瞬間にわかったらしい。さすが…。 もし本人が歌っているところにいたら、あなたそれはアレキサンドリア式であってスーフィじゃないですよと言ってやるとまで言っていた。 ともあれ、こんなところで身近な人が登場するのは嬉しいものである。 帰る時、今日の講義のテーマにもなっていた本上下巻を下さった。 読まなければならない本が詰まっているので、時間を決めて読み進めなければ帰国に間に合わない。 新聞のようにある程度単語がわかれば概要がわかるようなものではないので、 ほとんど辞書ばかり見ることになりそうだが、とにかく読みきるのみ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年04月11日 11時25分23秒
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