陪審員
昨日は雨の日曜日でした。こんな日は映画に浸るにかぎりますね。何度か見た事がある「陪審員」です。 マフィアのヒットマンから、無罪を強要された陪審員の葛藤と戦いを描いた作品。陪審員となった者は、公判中、事件に関する記事を見て影響されてはいけないし、関係者と接触することももちろん許されないらしいわよ。被告人であるマフィアのボスに雇われた殺し屋に脅されるヒロインをデミ・ムーアが演じている。 日本の裁判員制度も、平成21年までに実施されますよね。陪審員による評決に脅迫されたシングルマザーが「有罪」の事件を「疑わしきは罰せず」で無罪にするの。いつもの陪審員ものとは逆バージョンで、法廷外でのかけひきがメインだわ。 マフィアのドンと孫が殺された。電話の通話記録からファミリーのボスを追い詰めるんだけど、証拠は十分とは言えないのね。教唆は認められたものの、実行犯は逮捕できていない。彫刻家のデミ・ムーアの前に、金持ちの顧客で作品の理解者が現れる。これが、アレック・ボールドウィンで、まだ若いから中々カッコ良いしびっくりするぐらい芸達者でしたよ。 アレックの前妻さんは、キム・ベイカシーだったのね。紳士でもあり、気を許したが・・・彼は実行犯?そこからは恐怖の連続です・・・映画としてはかなり面白かったんだけど、陪審員になるのって怖すぎ。 勿論、この映画だけで陪審員制度が危険なものだ、と考えてはいけないし・・・この映画は陪審員制度を否定的に描いてる訳ではなくて~あくまでも「サスペンス」として描いてるんで、ドキュメンタリーでもないんだしね。 最後はあそこまでしなくても・・・ってとこまでやるわよ。スカットするって言えば、スカットするわよ。まあ~映画は各自の感性で見るんだから評価はしないけど かなり~面白いこの映画のデミ・ムーアは、いつもと違って地味よ。 追伸(ちょっとデミ・ムーアの紹介ね)1962年11月11日にニューメキシコ州で生まれ、ピッツバーグで育ちました。両親は、たった2ヶ月で離婚し、父親は彼女が生まれる前に蒸発しています。母親はすぐに他の男性と結婚し、男は定職に就かず職を変えるごとに引越し。デミは幼少期になんと40回もの引越ししたんだって。義理の父親と母親は共にアルコール中毒で殴る蹴るの夫婦喧嘩を繰り返していたらしいわ。デミは育った家庭は彼女にとって精神的に苦痛だったと告白しているのよね。彼女の左目はグリーン、右目はヘーゼル色ですが、幼い頃左目の手術をし常に眼帯をしなければならず、暗い幼少期を過ごしたといいます。一家は1976年にロサンゼルスに移り住みます。これがデミの運命を大きく変えることになったのですって。 当時親友だった女優のナスターシャ・モンスキーの勧めで高校を中退したデミは、16歳でモデルとして働き出します。ヨーロッパでモデルなどをしながら女優を目指した彼女は、1980年にヌード撮影までしており後にタブロイド誌をにぎわせることになちゃうのよね。「悪魔の寄生虫・パラサイト」で映画デビューを果たしたデミは、アメリカで人気の昼メロドラマ「General Hospital」にレギュラー出演し知名度を上げますが・・・「General Hospital」の初ギャラでコカインを購入した彼女は麻薬中毒への道を進むようになっちゃうの。80年代は、人気の青春映画に続けて出演しブラット・パックとしてハリウッドには欠かせない存在となったデミ・ムーアでしたが、麻薬漬けとなっていました。恐らく彼女もこのままではダメだと思ったのでしょう。1985年に映画「セント・エルモス・ファイヤー」の契約書に「撮影中はアルコールと麻薬禁止」とあったにも拘らず、この役を引き受けます。しかし、この映画の撮影現場にコカインでハイになった状態で現れてしまいます。激怒したジョエル・シューマカー監督は彼女をクビにし、デミはすぐに麻薬リハビリセンターに入り治療を開始。数週間後にドラッグ・クリーンとなった彼女は再び映画に戻ることが許されたのです。3年間で麻薬漬けを抜け出せたデミは本当にラッキーだったといえるんじゃないんですか? おわり←ポチっと押してくれると 励みになります