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「ここでいいだろう。後ろ、降ろしてこい」
バックミラーを見ないように頭を抱えていると、先輩がトンネルの右端に車を停めた。追い越し車線ではあるが、そちら側に歩道があるのだから仕方がない。ちょうどトンネルが途切れる辺りなのだろう。フロントガラスの向こうには、防音壁と夜空が延びている。
俺は後続車がないことを確認してアイドリング状態の軽トラから降りると、おそるおそる荷台へ向かった。どちらかが死体にでもなっていたらどうしようかと思ったのだ。
一応、嫌だと言ってはみたけれど、免許も持っていないのに、もし何かあった時に車を動かせるのかと詰め寄られると、俺が行かざるを得なかった。
果たしてそこには、折り重なった二体の屍――ではなく、団子のように固まった二人が荷台の背にへばりついていた。
左手で鳥居と巾着袋の紐を持って座りこんでいる女性を荷台の背に押し付けるようにして、男が彼女の頭を抱いている。彼もしっかりと左手で鳥居を掴んでいた。俺の頭の真後ろだったから椅子の背で見えなかったのだ。
「あ、あの、すいませんけど、ここまでで……」
二人の脚が絡まっていないことに胸をなでおろしながらも、どぎまぎしながら掠れた声で呼び掛けると、男の肩がびくっと揺れた。気のせいか、怯えているみたいに見える。彼は右腕で、女性の頭を抱え直した。すると女性の方が、鳥居を持っていた左手で男の腕を引き下げて顔をのぞかせた。
女性は、男に潰されそうな体勢のまま男の背を指差し、「酔ったみたいなんです」と口パクで伝えてきた。何が起きていたのかは分からないが、彼女は至って平然とした様子だ。犯罪が行われていたわけではないらしい。
女性が男に耳元に何か囁くようにすると、男ががばりと跳ね起きた。
「す、す、すすすいません!」
どたどたと後ずさって彼女と距離を取り、頭を下げる。とても車酔いしてるようには見えない素早さだ。バックミラーで見た女性に対する威圧感も微塵もない。
総毛立つような鏡の中の様子とは一変、コントのような男の言動に、狐にでもつままれたような気分で後あおりを下ろす。こっちに謝罪はないのかと思ったら、男は謝罪ではなく礼を言いながら降りてきた。
女性も右手で抱えていた下駄を両手にぶら下げ直して、ペタペタと裸足でやって来る。彼女が歩くたびに鈴の音がした。どうやら簪に鈴が付いているようだ。
荷台の上にいるせいか、すらりとした彼女は、とても背が高く見えた。
男は荷台の下で女性に背を向けると、負ぶると言うように手を後ろに出した。遠慮しているのか、彼女はなかなか乗って来ない。すると、さっきまで彼女にペコペコしていた男が豹変した。
「さっさとしてください!」
振り向いてそう一喝すると、もう一度背中を向ける。
「裸足で歩いて怪我でもされたら、俺が後味悪いんです」
今度は、女性もすんなり彼の背に収まった。
なんなんだ、こいつら。
「あの、助かりました。ありがとうございました」
後あおりを上げていると、男がもう一度礼を言ってきた。
灯りに顔を晒した彼は、車酔いしたというのもあながち嘘ではないかもしれないと思えるほど、憔悴し切っているようだった。それでも、やはり声の印象どおり、大学生かそれより少し上くらいに見える。どう見ても中高生や親父には見えない。ただ、顔はやっぱりちょっと怖かった。彼女を睨んでいたように見えたのは、男の目つきの悪さのせいもあるかもしれない。
女性の方は、ハッとするほど綺麗な顔立ちをしていた。十人人がいたら、男女問わず七、八人、いや、八人か九人は振り向きそうな美人だ。
やっぱり犯罪に巻き込まれていたのではないかという疑念が過る。さっきの彼女の口パクを読み違えたんじゃないかという不安も湧いてきた。「助けてください」だったりしたらどうしよう。
「いや、俺は別に何も。運転手が乗せてやれって言ったから」
俺は顔が引きつりそうになるのをこらえながら、二人を先輩のいる運転席の方へ促した。どのみち運転席は、彼らの進行方向にあるのだ。
俺が運転席の窓を叩くと、先輩は面倒くさそうにウィンドウを下ろした。
「別に礼なんて良かったのに」
「でもその、とても助かったんで」
男が鋭い眼をきょどきょどと泳がせる。見た目の割に小心者なのかもしれない。まぁ、言葉の内容はともかく、先輩の物言いはとても横柄だったから、たいていの人がそうなるかもしれないけど。しかも先輩、不躾にジロジロ二人を眺めまわしている。
俺は冷や冷やしながら、成り行きを見守った。先輩に二人を見定めてもらおうと思ったのが間違いだったかもしれない。この人の場合、犯罪者を諌めるどころか煽ってしまいそうだ。「面白そうだから」とか言って。
俺の心配をよそに、先輩はさして興味もなさそうに尋ねた。
「ふーん、で、あんたら付き合ってんの?」
「えっ、や、違います!!」
男がぶんぶん首を振って否定した。背中で彼女もかぶりを振っている。
「この人はただの同居人で、」
「ふーん、まだ付き合ってはいないのか」
「まだって別にこの先も……」
焦った様子で否定する男を、先輩は「ま、いいや」と制した。先に訊いたのは自分のくせに。
先輩は運転席から身を乗り出し、男に顔を近づけた。
「だったらきみ、深入りしないうちに離れた方がいいよ」
「え、」
「引き返せるうちに引き返した方がいい」
初対面の人間相手に何を言い出すんだこの人は。いや、こういう人だというのは、薄々解っていたんだけれども。
でも、少しは慣れてきた俺でも驚くのだ。彼らはもっと混乱しているようだった。男は完全に面食らって、固まってしまっている。
それに追い打ちをかけるように、先輩はさらに男に顔を近づけた。その左口角だけが、きゅうっと不気味に持ち上がる。
「でないときみ、いつか喰われるよ」
薄ら笑いを浮かべたまま、先輩は言った。
「先輩! なんてこと言うんですか!」
俺は男の横から先輩の頭を叩いた。
「だっ! おま、目上の者に向かってなんつーことをっ、」
「も、すいません。この人、人をからかうのが趣味なんです。真に受けなくていいですから。じゃ、気を付けて。お幸せに」
軽トラから身を乗り出したまま抗議してくる先輩を無視して、二人をトンネルの外に押し出す。図らずも女性の腰を押す格好になってしまい、慌てて謝ると、彼女は振り向いてにっこりと微笑んだ。身に纏っていた浴衣の紫陽花よりも、可憐で鮮やかな笑顔だった。
つづく
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