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カテゴリ:福祉について
私は今でいう多機能型の作業所(新体系)で働いています。
就労・自立で認定され通所されている方は軽度知的障がいと障害名がついてきます。 支援員の中では「知的の軽度だから支援も楽?IADL(身辺自立)も自立している方が多いし・・・「でもコミュニケーションにしんどさを感じる。支援が難しい!」「本当に軽度なの?」「見た目普通やん!」「甘えてるだけ」{悲しい言葉ですが}と言う声を聞きますし、私も感じています。 大学迄普通に出て就労した途端、しんどさを感じ二次障害を起こしてしまったり、何かが違う(親や周囲が)と感じ専門機関に相談して軽度の知的障害(B1・B2)と認定され通所されている方も少なくありません。 実際、よく喋り作業も出来る方で。だけれど、対人関係に偏りがありしんどさ(本人・周囲から)を感じ親御さんから相談を受け、WAISを受けて来てもらい専門医に診断をしてもらうと自閉傾向があったり、と。今までの支援とは全然違う方向性と工夫・配慮が必要になりました。 ここからは、あくまでも(まだまだ大学で勉強中の身なので)私観ですが、「軽度の知的障がいだからではなく軽度発達障害の重度?2次障害がないか?」「軽度の知的障がいのほうがしんどい→軽度発達障害の重度→個々にあった支援がなかった→2次障害の有無」 ※もちろん今までのの支援や実践を全部否定はしていませんし個々にあった支援がある事も認めた上でのお話です。 と考えたら、支援の方向性も変わってくるはず!!と私は思います。 3年前から少しづつ発達障がいについての理解を促進する動きが出来てきていますが現場は中々、難しい物があります。自閉症=喋らない・知的障がいがあると思っている人も多いです。 1知的障がいと軽度発達障害では公的(療育手帳・金銭的支援・サービス)が違う事。 2福祉の現場の人材不足で例え発達障がいを理解していても個人にあったその人に必要な支援が難しい事(私も反省していますが・・・) 3WAIS(知能テスト)受ける機関が少ない事・又、そのプロフィールを理解できる人材が少ない事。 4公的に支援(支援学校・学級を卒業後)を受けれる場所が少ない事。 5支援学校ではなく普通学級で在学しても支援やフォローが充実していない事。 と私は考えています。 本当に自立支援法は矛盾が多すぎる。 地域に出る それは素晴らしいこと でも、それに見合った物を保障することが必要じゃないでしょうか? 生きてる事 存在する事 みんなで考えていきたい。 矛盾を感じてもなお私は 障害=個性 と信じたい。 障がいの重さでしんどさを計るのではなく生きにくさを感じたら、その生きにくさが「障害」じゃないでしょうか? By あきりん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.11.09 19:35:38
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